追悼の意を込めて
あれから、ほぼ一年がたった。この記事は正直書くか迷ったし、この記事を自分のSNSでシェアしようとも思わない。ただ、一年たった今、自分の中の一つの区切りとして整理したくてこのnoteに書いている。分かる人にだけ共有できれば良い。
約1年前、親友が亡くなった。親友といいつつもいつも隣にいるような仲でもない。ただ、3ヶ月に一度、僕らは数人で自分たちの人生やこれからの未来を話し合った。誰にも傷つけられないこの空間で、裸の気持ちを見せ合った。自分の希望も絶望も弱いところも全部共有し合える仲間がいた。
死因は正直分からない。でもあの時のメッセージのやり取りからは、もしかしたら自ら命を絶ってしまったんじゃないかと思っている。本当がどうかは分からないけれど。
本当に優しい人だった。誰かの弱さや苦しさに気づき、声をかけられる。人の歪さをそのまま愛してくれる。僕らはそんな彼女が好きだった。僕らのチームに優しさを届けてくれたのは間違いなく彼女だったと思う。
でも、自分の辛さを抱え込んでしまうところもあった。本当の根っこはもしかしたら僕らにも隠していたのかもしれない。
あの日、強引にでも話しに行けば、あの日に会いに行けば、もしかしたら助けられたのかななんて、意味のない後悔をすることもあった。頭では分かるけれど、胸の中のつっかえはしばらく取れなかった。何か、少しでも何か彼女からもらったものをバトンとして僕は前に進まなくちゃいけないと思った。
言葉にすると当たり前のことだけれど、僕らはいつ死ぬかなんて分からない。僕も、親友も、家族も、いつこの世からいなくなったっておかしくない。だからせめて、後悔のないように生きよう。そんな、ごく当たり前のことを、強く感じた。そんな当たり前のことを、自分の人生にちゃんと生かさなきゃダメだと思った。
あの子に会った時に、また笑って話したい。今度はちゃんと本当の気持ちを話してもらえるように、話してもらえるような生き方をしようと思う。
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