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【部分公開】江永泉「不法的推理――平成期日本の事例」不毛連盟『ボクラ・ネクラ 第六集』2023年9月【第0、第1】

こんばんは。今日もおつかれさまです。

note記事を新しく書こうとすると、上記のような挨拶文がデフォルトで表示される。それをプラットフォーマーからの気遣いの言葉だと解して、元気になる書き手もいるだろう。私も時折そうなる。今はどうだったか。書き手、つまりこのプラットフォームのユーザーのロイヤリティ(忠誠度)を高めるための効果的な文言であり、広告的な効果を発揮しているフレーズなのだなと解していた。
 そんな感じの頭でミステリ(のごく一部)を読んでいると、こんなものを書くようになる、と説明すると「不法的推理」という文章の全体的な雰囲気が伝わるのではないか、と私は思って、それでこんな風に記事冒頭の導入部を書き始めた。――というのは、ただデフォルトで表示された文言をそのまま書き写してしまってから練り上げた後付けの理屈かもしれない。――が、そんな感じの頭でミステリ(のごく一部)を読んでいると、こんなものを書くようになる、と説明すると……。
 自分で書いたものだが、いささかルナティックに映るかもしれない文章をこれから紹介するので、ちょっと韜晦したくなった。話を進める。


事の経緯(不毛連盟『ボクラ・ネクラ第六集』部分公開)文学フリマ東京37【そ-38】

2023年11月11日(土)12:00~、東京流通センターで開催される文学フリマ東京37に合わせて、不毛連盟の面々で『ボクラ・ネクラ 第六集』を部分的に公開する流れになっている。なお11日はブース【そ-38】で頒布されるらしい。

「【読書会特別企画】令和ミステリ批評を位置づける――『現代ミステリとは何か』編(試し読み)」

「「そこに居なかっただけ」の日々を生きる―地下と星座と『うわの空』【試し読み】」

「バックヤードの認識論—『私の百合はお仕事です!』論(試し読み)」

「もはや彼岸の試し読み 2023/11/08」

なので、自分もこの流れに棹差し、同誌に寄稿した「不法的推理――平成期日本の事例」を部分的に公開する。気になったら、ぜんぶ読んでもらえたらうれしくなる。
 いま改めてみると大上段なタイトルをつけた。概要紹介と、ミステリのことを自分がどう思っているのか、合わせて書いたほうが望ましい気がする。

前置き(「不法的推理」梗概、ミステリに関連した簡便な自分語り)

この「不法的推理」の初発表の場は東京ではない。大阪である。不毛連盟の『ボクラ・ネクラ 第六集』は、2023年9月10日、OMMビルで開催された、文学フリマ大阪11で初頒布されたのだった。どうも、その際の売れ行きは、思ったよりも芳しくはなかったと仄聞している。とはいえ読んでくださったかたも買ってくださったかたもいて、実はもう感想を書いてくださったかたまでいる。これまで大阪で出店することのできなかった同人が初めて頒布をした評論誌に寄せられた反応にしては、望外の極みだ、と個人的には思っている。もちろん、もっと読まれたら、もっと元気が出るし、うれしくなる。
 そんなわけで、たぶん同人一同、気合が入っており、こんな風な事前宣伝も、これまでより活発になっている感じがする。というか、そもそも今回は原稿を軒並み無事に提出するなどしており、ボリュームだけでもこれまでで一番アツい感じだった気がする。

この記事を書いていて思い出したが、9月時点である程度、自己宣伝な文章を書いていたので、やや加筆修正しつつ、転載してみる。

・ポスト・トゥルース的状況認識を踏まえつつ、平成期ミステリの動向を、どちらかと言えば邪道な作品群を挙げつつまとめています。推理というものが考察や二次創作めいた営為になっていき、救済系エヴァ二次創作さながらのテンションで歴史改変をする向き(歴史修正主義、リヴィジョニズム、否定論)が出てくる流れをざっくりと記述しています。通史とは呼べない断片的なものではありますが。また、デジタル影響工作・ネット世論操作に近接する内容を含む超能力バトルミステリの話などをしています。
・あとジュブナイルポルノ・ミステリの話をしています。まずこの世界にはジュブナイルポルノと呼ばれるジャンルがあって、非常にざっくり説明するとR18アニメのノベライズなどに端を発するR18ラノベ群なのですが、同作を代表するノベライズ作品が紫綬褒章受章作家の稲葉真弓によるものだったと判明してニュースになったこともあります。倉田悠子名義の『黒猫館・続 黒猫館』『エスカレーション』『旅立ち 亜美・終章』です。今これらは星海社で復刊されています。
 ミステリ界隈では、水滸伝ほかの中国四大奇書に倣った日本ミステリ三大奇書、ただし定番ミステリというよりは異常ミステリに相当するような三点セットが戦後にまとめられていて(『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』の三作)。『匣の中の失楽』を足して四大奇書、何か推しをもう一作足して五大奇書と呼ぶカルチャーがミステリ界隈にはあります。それでこのミステリ三大奇書に倣ってだと思うんですがジュブナイルポルノ三大奇書と呼ばれる作品群があります(ジュブナイルポルノ三大奇書はどれもミステリ仕立てだと言えると思います)。この論考ではそのうちのひとつを取り上げています。ちなみに海猫沢めろん『左巻キ式ラストリゾート』もこのジュブナイルポルノ三大奇書のひとつとされてきました。これも今では星海社で文庫化されていたはずです。
・SFでいうところのセオリー・フィクションに相当するものがミステリにもあって、推理批評と呼ばれています。いや『読んでない本について堂々と語る方法』のピエール・バイヤールがひとりで提唱してるだけだと思いますが。ともあれ、半ばフィクション仕立てなミステリ評論をつくるカルチャーがあるのですが、これを意識してみました。方向性で言えば笠井康平+樋口恭介「場所(Spaces) 」や鈴木一平+山本浩貴「無断と土」とかでしょうか。あとミステリ系の先行者として大澤信亮「新世紀神曲」も自分なりに踏まえているつもりです。実際、言及もしています。でも、いま挙げた3作よりはフィクション成分は薄目かもしれません。
・おそらくまだあまりレビューが充実していない、ボイスロイド劇場(動画配信プラットフォーム上で流通する映像作品群)におけるミステリ系作品のガイドをしている文章でもあります。以前、『このミステリがすごい』2022年版に木澤さんと寄稿した際に妙楽『彼岸列車』2019だけ取り上げたんですが、今回は他にも何作かピックアップしてみました。
・言及したコンテンツをいくつか挙げます:鈴木大介『ネット右翼になった父』、米倉あきら『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI 』、天城一「高天原の犯罪」。

Discord某チャンネル上の江永の文章をリライトしたもの。

ごちゃごちゃしている気がする。話があちらこちら行っているのもあってか全体で3万2000字になっている。もっとスマートな書き方も自分は練習したほうがよい、と改めて思った。ただ、3万字以上も書いておいてなんだが、私は自分がミステリ読み、って名乗れるんじゃないかと思えたことがあまりない。それがなんでなのか、ちょうどこの前、少しだけわかった気がした。『ボクラ・ネクラ第六集』の部分公開の関連で、蔓葉信博さんからコメントをいただいて、それに応答するなかでのことだった。

上の発言は江永のもの。蔓葉さんは丁寧にご回答をくださった。それで自分はこんな感じで連投した。

連投は続くが、ここで切る。こんな風に書いていたら、頭が整理された。

これは私にとって、本当に大きな発見だった。蔓葉さんに、改めて御礼を。
 経緯の説明や前置きが長くなったが、以下の文章はこんな感じの頭が制作したものである。


「0.事例:しんかいちさとみ(まえがきに代えて)」
「1トランプ化するポストモダン?:推理小説に何ができるか」を公開する

0.事例:しんかいちさとみ(まえがきに代えて)

推理はなんのために存在するのか。問いに答えるためだ。つまり謎に解決を与えるためだ。解決とは説明である。かつて何が起きたのか。いま何が起きているか。これから何が起こるのか。こうした問いに与えられる説明が解決である。解決は現実を説明する。真の解決と偽の解決が選り分けられる。これはなぜか。真実はひとつしかないからだ。より厳密に言えば、ひとつ以上あってはならないからだ。誰もが認めるべき真の現実は、ただひとつであるべきなのだ。
 起きたこと、起こっていること、起こるはずのこと。これらの説明が欠けている箇所は現実のうちに無数にある。どうでもいい空白が無数にある。そのままでは困る空白が発見されたとき、推理が行われる。説明がつくられる。事実として複数の説明がつくりうる。だから選別される。これが真相だ、真の解決だと認定される権利は、この説明にしかないのだ、と。そうして現実の穴、空白が埋められて、現実の中身はより緻密になり、充実する。安楽椅子探偵の新開地智美は、かつて雪が降り閉鎖環境となった夏の宿舎で起きた事件について、相談に来ていた金田いちるに無数の推理をしめしたあと、こう答える。

いちるにはもう、何が何だかわけが判らなくなってしまった。
「いったい、じゃあ……ほんとは何が起きたんですか?」
智美はひょいと肩をすくめた。
「さーあ? 一介の部外者であるわたしに、わかるわけないじゃない。渦中にいた貴女に判らなかったことが、ねえ?犯人が誰かぁ…なーんて、べっつに、どーでもいいんじゃないの。謎なんて、すべて解けたからって、どーってことないわよ。真実なんて、決まって不愉快でつまんないことなんだし」

しんかいちさとみ『ヒ・ミ・ツの処女探偵日記』(ナポレオン文庫、一九九七年)二七三頁

 探偵として不誠実なのか。そうではない。むしろ新開地は、何が重要なのかをよく知っている。「だいたい、何もかも解ったつもりでいるヤツに限って、肝心なこと、いっとう大切なことを見逃してるもんよ」(二七三頁)。この探偵は相談者にこう問うているのだ。それは本当に必要なのか、と。
 あなたが愛する相手、京平による事件の説明には空白が見つかる。虚偽も含まれているようだ。聞いた話と見せてもらった日記、これらを組み合わせれば複数の推理がつくれる。誰が犯人でもおかしくない。それが京平でも。これは私も認める。しかし、この空白を埋める必要はあるのか。あるいは然々の解決は偽の解決だと、異議申し立てをする意義があなたにはあるのか。あなたにそれが必要だとは、私には思えないのだが、どうか。なぜなら、「金田さんと京平くんにとってはもう、いちばん大事な事件と謎は解決ずみなんだから」(二七三頁)。あなたはその夏に京平と結ばれ、真実の愛を手に入れたのだから。「言葉の意味に気づいて、またまた赤くなったいちるに、ひらりんと、智美のやさしいウインクが飛ぶ。/悪魔の無邪気な片えくぼ。/「だって、しあわせなんだから。ね?」(二七四頁)。
 これが新開地の結論だ。
 探偵は、問いの正しい答えを見つけ出すだけではない。答えに真偽があるように、問いにも真偽がある。真にあなたの求める答えを問いのうちで探し求めるかのごとく、まず、真にあなたが立てるべき問いの探究に専心せよ。これもまた、あるべき探偵の格率なのではないか。
 本稿では、令和期(二〇一九年五月―)の現在から、平成期(一九八九年一月―二〇一九年四月)の日本のミステリ作品を幾つか取り上げ、主に推理のありかたという観点から論ずる。話の都合上、平成期以外の文献も参照する。以下では、まず現代社会におけるポスト・トゥルース状況の到来を確認する。次に、その状況に応答した平成期日本ミステリを扱った令和の批評を読解する。その上で、そこで扱われていたものとは異なる平成期の諸作品の検討に移る。

1トランプ化するポストモダン?:推理小説に何ができるか


ドナルド・トランプの第四五代アメリカ大統領就任はひとつの事件であった。合衆国史上初の黒人大統領として知られることとなったバラク・オバマ前大統領に引き続き、合衆国史上初の女性大統領になることが期待されていたヒラリー・クリントンとの二〇一六年第五八回大統領選挙での対決を経て、すでにゼロ年代から大統領就任への意欲を見せていた悪名高くも富豪タレントとして著名であった「不動産王」が、ついに大統領の座を射止めたのである。なお、トランプのように公職経験も軍歴も持たない人物の大統領就任は、アメリカ合衆国史上初の事態であった。
 毀誉褒貶が渦巻く状況のなか、当選後初となる記者会見(二〇一七年)で、質問しようとするCNN記者からの発言を遮りながら「貴様はフェイク・ニュースだ」と宣告するトランプの姿が大々的に報道されることになる。断固として会話を拒否しようとするトランプの振る舞いはまるで、第二次安倍内閣発足(二〇一四年)以降長らく内閣官房長官の地位にあり、「その指摘はあたらない」をはじめとする紋切型の答弁で知られていた、当時の菅義偉の姿を彷彿とさせるものであった。他方で、それはインターネット・トロールへの洗練された対応のようでもあった。つまり「荒らし」の話などには耳を貸さないとの意思表示に酷似しているところがあった。このような連想が脳内で働いたのは、想田和弘が二〇一五年にツイッター(現X)で行ったパフォーマンス「#菅官房長官語で答える」の影響があったからかもしれない。
 振り返ってみれば、二〇一〇年代とは、スマートフォンとSNSアプリの普及によって伸長したはずの、インターネット環境を活用した新たなる公共圏の立ち上げへの希望が、様々な事象を経て打ち砕かれていく、そんな[一〇年間:ディケイド]であった。おそらく、二〇一〇年チュニジアでのジャスミン革命に端を発する「アラブの春」が、二〇一四年のISIL(イラク・レバントのイスラム国)による「国家」樹立宣言を画期として「アラブの冬」へと転じてしまった、というこの一連の流れが、この一〇年間で生じた、希望から幻滅へいたる様々な運動の軌跡、その範例となっている。地域を日本に限定したとしても、こうした「春」から「冬」への変化を様々な仕方で少なからぬ人々が体験したはずだ。少なくとも、二〇二三年の今日では「冬」の惨状の広がりを無視することは難しい。
 一〇年代後半のトランプの大統領就任、それに前後してのピザゲートやQアノンほかの陰謀論の蔓延は、言ってみれば、一〇年代前半にはあった「春」の雰囲気――ウィキリークスでの機密文書の暴露、スノーデンによる国際的監視網の内部告発、そしてオキュパイ運動などがそれをもたらしていたはずだ――を吹き飛ばす、厳しい「冬」の本格的な到来を告げ知らせる出来事だった。東浩紀の情報社会論『一般意志2.0』にもまた、そんな一〇年間の時代性が刻印されている。ただし、巷間での大抵の論議の水準から抜きんでて、近い将来人々が抱きはじめるところの模範的な問題意識を先取りしてしまう、そんな軌道予測めいた聡明さもまたそこにうかがえる。
 ゼロ年代以前からデジタル民主主義の可能性と限界を吟味し続けていた東が、二〇〇九年一二月から二〇一一年四月にかけて連載した論考を一冊にまとめたのが本書だった(同年一一月、講談社で単行本化)。その「単行本版序文」には、すでにこうある。「ユビキタスマーケティングとソーシャルメディアが支える統治制度。票読みと政局報道に支配された旧態依然の「政治」から懸け離れた、まったく新しい公共性の創出。それは[……]「夢」になりえたかもしれない。/しかし震災後はどうだろうか」(文庫版一三頁)。二〇一五年の「文庫版あとがき」では、さらに明確に、こうなる。「情報技術によって大衆が結びつけば結びつくほど、動員が楽になればなるほど、そしてビッグデータの分析が進めば進むほど、世事はポピュリズムに呑み込まれ、身動きがとれなくなる。おそらく人類は、どこかでその制御に本気で取り組まねばならなくなるだろう」(同三三二―三三三頁)。このときには、もはや「冬」の到来が確信されている。
 さて、トランプの当選が確実となった二〇一六年一一月、オックスフォード英語辞典によって「今年の一語」が発表される。「ポスト・トゥルース」である。どうやら、同年六月に欧州連合(EU)からの離脱(ブレグジット)の是非を問う国民投票がイギリスで実施されたあたりから、この語の使用が急増していたらしい。そんなわけで英語圏で共に二〇一八年に刊行された、ミチコ・カクタニ『真実の終わり』(集英社、二〇一九年、岡崎玲子訳)やリー・マッキンタイア『ポスト・トゥルース』(人文書院、二〇二〇年、大橋完太郎監訳)といった書物が素早く翻訳されたし、ポストモダン思想が(ときに誰のどの著作由来なのかも定かでないほど大雑把な理解のもとで)槍玉に挙げられることとなった(なお、ポストモダン思想のそうした通俗化の過程を振り返った労作が、小川歩人「ポストモダンという毒/薬あるいはサプリメントの略歴――今日、ジャック・デリダを支点として」『現代思想』第四九巻第七号(青土社、二〇二一年六月)である)。それに日本でも「ポモ」なる略称が、ときに侮蔑的な含みを帯びた仕方で、いっそう流通することとなった。ざっくり言えば、こうしてトランプ化するポストモダンの糾弾が発生したわけだ。
 現在がその延長線上にあるのだとすれば、蔓葉信博による次のような呼びかけも、大いに腑に落ちるものである。「わたしたちが皆、名探偵になる必要はない。しかしながら「ごく普通に考える」ことをあらためて始めるべきではないだろうか」(限界研編・蔓葉信博編著『現代ミステリとは何か――二〇一〇年代の探偵作家たち』(南雲堂、二〇二三年)一四四頁)。蔓葉信博「推理と想像のエンターテインメント――青崎有吾論」、その結びの言葉だ。それは単に作品の読みどころや作家の特色を指摘するのみならず、「二〇二三年の現在、高度化したIT社会の情報流通のなか、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大とともに、その医療的事実の真偽判定は一般の人々のなかで共通理解に至れない事態に陥っている」(一三七頁)、そんな社会状況と切り結ぶミステリ批評たることを志向していた。
 蔓葉が取り上げるのは「裏染天馬」シリーズである。「ポスト・トゥルースという言葉が流行語になり、真偽不明の事柄が内外に跋扈するこの時代に、万人に確からしいと感じさせる推理をどのように描きだしているのか。そこにはこの時代を生き抜くためのヒントが隠されているように考えられる」(一一九頁)と蔓葉は述べている。
 かくして、ポスト・トゥルースでカオスな世界のなかで、うまく泳ぎ抜くためのロールモデルとして、青崎が造形したキャラクター、裏染天馬が読者に提示される。「自分とは違う相手の信念を許容するためのひとつの方法」(一四三頁)としてのユーモアは忘れない人物で、概ね蔓葉が生きる現実世界と似た作中空間で「客観的な事実を集め、頭の中を整理し、地道な推理の積み重ねで[……]犯人までたどり着いた」(一三七頁)探偵だ。蔓葉の批評においては、これこそが青崎作品に描かれた魅力的なキャラであり、また本格ミステリなるジャンルの作品群に息づくエートスの体現であり、そして作品が読み継がれていく社会にも向き合う、プラグマティックなミステリ批評が打ち出すべき、実践例だったのである。………………(続)

(続きは不毛連盟『ボクラ・ネクラ 第六集』にて。2023年11月11日、文学フリマ東京37【そ-38】にて頒布します)

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