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初個展やります。そして忘却した動機の行方について。

2021年、6月4、5、6日の3日間、個展をひらきます。場所は自身のアトリエでもある「逃げBar White Out」。搬入出が楽で非常に良い。

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名前は「葬像展」
かねがね、そうぞう(想像・創造)という言葉を用いてきた。自身の会社のミッションステートメントだとか、自身のアートステートメントだとか、その他諸々で、乱用していた。

そういう兼ね合いもあってすぐに名前が決まったのだけど、なぜ個展をやろうと思ったのか、その記憶が、肝心のそれが、曖昧なのだ。一度忘れてしまった記憶を、脚色していないオーガニックな状態で引き出すのはなかなか難しい。でも或は文章という動力を使うことによって、多少なり導かれ、再生されゆくものがあるのではと思い立ち、今居間でキーを叩いている。

なぜ個展をひらこうと思ったのだろう。ましてや自分の作品(フェスティバル)など、生まれてはすぐ消えてしまう類のものだというのに。

あぁそもそも、この逃げBarという場所は、創ったものがすぐ消えてしまうから、何か残るもの、常設できるものを作りたいという自らの創作に対する反逆的な想いもあって作ったのだった。

開業した途端に、待ってましたとばかりに流行病がやってきて「もっと多くの人に見てもらえるはずだったのになぁ」なんて思いをこっそりと抱えていたのかもしれない。

でも建物の内見だけでは誘う魅力に欠けるので、他の作品も掲出する。そういう魂胆だったのだろうか。しかし他の作品といっても、もう手元には何もないのだ。かろうじて思い出が頭の中に保存されているが、それだってもう保存しやすいように加工されている。

それで何か、新しく、質量のあるものを作ろうとして、例えば犬がワンと吠えるように、たんぽぽの綿毛が風で飛ぶように、ごく自然に表象したテーマが「葬」だった。思い返せば、そうだった。

僕は直感を慕っている。もっとも新鮮な直感の中に、熟考の結論は既に存在しているのだと信じている。人は生まれる前に死が定まっているし、地球も、誕生する前に宇宙の崩壊が定まっている。自分の中のタイムラインは、過去の積み重ねで未来があるのではなく、未来が先にあって過去を演出していくベクトルがある。そしてもっとも新鮮な直感は、瞬間的に未来(というか未知)に触れることのだと感じている。

運命論者と言われれば些かロマンチック過ぎで、むしろ唯物論的で、虚無的で、哲学や物語の敵だと言ってもいい。(だからこそそれらに焦がれている)

「葬」は直感だった。体内に生息している37兆個の細胞による多数決というか、それに抗うエビデンスを持ち合わせていなかった。意識は身体というオーケストラの指揮者どころか、唯一の観客なのかもしれないと思う。束ねているつもりで振る舞うけど、実はただ聴いて、感想を持っているだけなのではないか。

とはいえそれは素晴らしく重要なことで、どんなに良い演奏だって、観客がいなければ意味を持たないのだから。この宇宙に意識が存在しなければ、天の川銀河やペルセウス流星群がいくら美しかろうと、無意味で無価値なのだから。

つまり自分は、身体が出した提案に「いいね」と思ったのだ。
そしてそれを立証するように個展開催を決めてから数日が経ち、突如不整脈を発症し、ここ数日否応なくも命と向き合う時間を過ごしている。

そんな時間の中で、遺書を書いたつもりが個展のステートメントができていた。

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不思議。

そして、葬をテーマに3つのコンセプトと作品のイメージが出来上がった。

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作品は今6〜7割くらい完成している。上記3つ+「シュレディンガーアロマ 」という記憶と香りの作品と、サイレントシステムを使ったオーディオ作品、それから細かいちょっとした仕掛けをいくつか仕込もうと企んでいる。

動機探しの随筆を初めて20分ほど経った。
今ここで思っていることは、そもそもしっくり明文化できる動機などあるのだろうかという、元も子もないこと。

なんというか、もっと混沌として複雑で、ごちゃっとした様々な作用の末に意思決定があって、明文化できる動機はその後に追記されるものではないのだろうか。(記憶は過去から未来というタイムラインの都合上、あたかも明文化された動機が最初にあるように編集するけど)

人間で在ることはむずかしいなぁと思う。

生まれることのむずかしさを自分はまだ身体感覚として持ち合わせていないけど、遺伝子の3幕構成(生・在・滅)の中で死ぬことだけが単純明快ではっきりしていて、あとは不思議なことばかりだ。だから死をテーマにした作品が多いのかもしれない。(Ændroid clinicKaMiNG SINGULARITYなどなど)

そんなことを考えてたら鎮座さんとHIFANAの曲が頭に流れてきた。

そんな初個展。

逃げBar未踏の方も、この機会にぜひ遊びにいらしてください。

詳細・ご予約(入場無料)はこちら:https://souzouten.peatix.com/

ps .

同じく横浜市の本郷台ではクリエイティブディレクションした企画展「モノ語り展」が開催期間中なので、よければセットでどうぞ◯

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「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。