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東工大の卒業式で祝辞、述べてみた

母校の東京工業大学の卒業式(正式には学位授与式、学部および大学院の2回)で来賓として祝辞を読む機会を頂いた。2024年3月26日。
東工大は24年10月には東京医科歯科大学と合併して東京科学大学となるので、「東京工業大学」としては最後の春の卒業式だった。
そんな大事な機会に、もっと王道的に凄い卒業生がアボガドロ定数ほどいる中で、私を推薦してくれた益学長には感謝です。

聞いてる卒業生・親御さんたちに、眠くならない時間を提供出来たので良かった。加えて、なにか新しいことやろうという気持ちの人が一人でも出てきたら嬉しい。

祝辞

国内屈指の大学の卒業式に同席できて光栄です。

最初に、自己紹介します。
私は10年ちょっと前に機械系で学部、修士と東工大を出ました。
今は宇宙開発、民間でのロケット開発を行うベンチャー、スタートアップ企業の社長をしています。
創業時の11年前は数人で始めた会社は、今では170人規模の会社になりました。民間企業としては国内初の、宇宙空間に到達したロケットを開発した会社にもなりました。私達が開発したロケットです。
大学時代は鳥人間、人力飛行機のサークルで設計主任というのをやったり、ロケット飛ばすサークルを立ち上げたりしてました。
一方で、学業的な成績は良くなく、就職も学校推薦使って決まってた内定先の大手企業に入社日の4月1日辞めるような不埒なことをしました。
こうした私を、このお祝いの場に出すことを許す、なんて心の広い大学なんだろうと感動する次第です。

今日は2つの話をしたいと思ってここに来ました。
一つ目は「社会変化がヤバイ」
二つ目が「変化させる側につけ」です。

祝辞の場では、「みなさんの未来は明るい」みたいなことを言うんだと思います。
本当に未来は明るいんでしょうか?

日本の人口は減り、国内の労働力は減り、高齢化は大きな課題を生み、年金はどうなるかわからず、男女平等の社会はこの会場見る限り実現にはまだ遠く、SDGsだと叫ばれながら紙ストローみたいな瑣末な話しか進まず、少子化対策だと言う割には本質的な課題には手をつけられず、学業でも社会でも益々競争環境は激化し、その割に日本のGDPは成長せず、所得格差は広がり、パンデミックにより社会全体が大きなダメージを受け、世界では戦争が続き、人間関係は希薄になり、社会的な孤立は深まり、気候変動は進み、生物多様性は減り、AIに仕事は奪われ、
「世界最高の理工系総合大学を目指す」といいながらいつ世界最高になるのかわからず、ただでさえ知名度のない大学名が更に見知らぬ名前になるわけです。
「工業大学か、高校時代遊びすぎたんだろう」と言ってくる伯父さんもいなくなれば、信州大の従兄弟もいなくなるわけです。
最初は全くツバメに見えなかったロゴのあいつも引退し、来年には学長も素数が嫌いになるかもしれません。

心の広い大学だと思って、言い過ぎたかもしれません。

これだけ課題だらけの社会において、皆さんは、社会に出る、出ざるを得ない、もしくは社会に出るのに近づくわけです。

変化のスピードも上がっています。

10年、20年で社会が大きく変わってしまう時代です。1世代上の人と価値観を共有することすら難しい。
そんな中、皆さんは、今後50年から80年は社会と関わります。

科学の進化はテクノロジーの進化のおかげで年々早まり、
コロナ前後でリモートが当たり前になり、スマートフォンは登場から15年ほどしか経ってません。ハラスメントは年々減り、環境意識は本質的な持続可能性に意識が変わり、やり甲斐・生き甲斐が重視され、ライフワークバランスは本当の意味で重視されるようになったのは私の感覚ではここ10年ちょっとです。
Amazonや、Googleが日本に出てきたのは高々20年ほど前です。
QR決済が出てきてから10年、ビットコインが出来てから15年も経ってないわけです。
流行りのSNSは10年も持ちません。私が大学生の頃、一所懸命に書いてたmixiを知っている人はいますか?
レポートをChatGPTに書いてもらうのが当たり前になったけど、また2年も経ってないわけです。
人気の就職先ランキングなんて10年経つと半分入れ替わります。

10年前でも、スタートアップ企業に行く人、起業する人はほとんど誰もいなかったのに、今ではそこそこの割合出てきていると聞いています。

10年、20年でこれだけの変化です。

皆さんは、まだこれからの人生で何度も何度も大きな変化に晒されます。

二つ目の、変化させる側につけと言う話です。

個人的なエピソードを話します。

私は11年前に民間宇宙開発のスタートアップ企業の立ち上げのタイミングで修士新卒で入りました。
宇宙開発に携わりたいと思いながらも就活ではJAXAのような宇宙機関への就職は叶わず、別の業界へ内定決まっていました。カメラメーカーなので本当に別の業界です。
修士論文書き終わった後の春休みに、今の会社の前身団体に手伝いに行き、そこで創業者のホリエモンに会いました。
「君は、ロケット作りたいの?カメラ作りたいの?」と言われ、たしかに本当に作りたいものはなんだと考えたのと、宇宙業界の成長の可能性を感じ、社会的なタイミング、個人的なタイミングとして、今しかないと確信しました。
その日のうちに今の弊社、インターステラテクノロジズへのジョインを決めました。
タイミングが悪くというか直前すぎて、内定先のメーカーには入社式の4月1日に辞めるという大変な不義理をしました。私自身の選択としては間違ったと思っていませんが、他の人には全くオススメしません。人事の人にとんでもなく怒られます。会社に迷惑をかけます。大学の先生からはちょっとだけ叱られます。

民間での宇宙開発。
今では国内複数箇所から民間のロケットの打上げの挑戦があり、アメリカのロケットは日常的に打上がり、月への探査も民間企業がやり、宇宙飛行士も民間企業のロケットで宇宙に行き、宇宙を使った通信サービスも民間企業がやる。地球を一番撮影してるのは民間企業です。
ただ、10年前は違いました。

宇宙開発は国がやるものであり、民間企業が独自にやるものだなんて考えは少なかったです。

アメリカは別として、日本では民間企業がロケット開発を独自にやるなんて無理だと散々言われてました。
たしかに、ロケット打上げのための法律が整備されてなかったり、スタートアップ企業がお金集めるためのファイナンス手法の整備が遅れていたり、実績がなかったりしたので、そういわれても仕方なかったです。

それを、我々は、全く新しいロケットを開発し、全く更地だった北海道の地にロケット発射場を整備し、何度も何度も失敗し、ついに開発に成功しました。

私たちの会社は事業としてまだ成功した企業とは言えない、道半ばの会社です。それでも「どうせ無理」と言われていたことをひっくり返した、新しいことを生み出した会社としては誇りを持っています。

スタートアップ企業、今、日本政府あげて育てようとしています。成長のためには、新しいことをしないといけないという当たり前のことに、多くの人が、気付いています。

大手企業に行っても新しいことはできます。大きな企業の方がリソースが多くて出来ることが多いこともあります。一方で様々な限界も多いです。
それをしがらみなく打ち破ることが出来るのはスタートアップ企業です。
昔は、確かに起業に失敗すると借金抱えて生命保険で返すために首括るという時代もありました。
今や昔、起業のリスクは高々、初期投資分が無くなるぐらいのリスクです。生活保障が厚く、人不足の現代で、食いっぱぐれることはありません。死ぬこともありません。
良い時代です。

理工系というのは「どうせ無理」と思われていても、新しいことを生み出す力があります。
そして、世界最高レベルでそれが出来るのが、東工大卒業生の良いところです。
「世界最高の理工系総合大学」の東京工業大学、誇らしい大学です。

課題が多く、変化が早い時代。
自分たちの手で変化を起こしましょう。

本日は本当におめでとうございます。

参考

表紙の画像はchatGPTに書かせたベイマックス的なロボが卒業式で話してる様子

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