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「妬ましい」という感情を受け止める

わたしは誰かに文句を言ったり怒ったりすることが最近増えてきた。
ジェットコースターのような自分の感情の波についていこず、振り回されている。

自分のできることに心躍らされることもあり、楽しみなことも増えてきた。
自分の自撮りをあげることに抵抗がなくなり、自分を「アイドル」なんていうこともおこがましくなくなってきた。
やりたいことができる力が、あるんじゃないかなと自分で自分がいい意味で認められてきたんじゃないかと思う。

疑り深いわたしは、一方で、予防線を張ることを辞めない。
低く見積ることを辞めない。どこかで、自分のやっていることを嘲笑うことを辞めない。
誰よりも自分が自分を馬鹿にして、過小評価して、そうしないと、誰かにどう見られているか考えるのが怖くて。

そのバランスがとれなくなり、自分が無力に感じることが増えてきた。
私がやろうとしていること、私が出来ると思っていることは実はちっぽけなことで、あるいは、誰もができることだったのかもしれない。
私が喜んでいるレベルを既に到達して、もっともっと私と同じことを高いレベルで簡単にこなしているひとがいるのかもしれない。

私じゃなくても、いいんじゃないか。
私がいなくても、何ら変わらないんじゃないか。

だからわたしは、「妬ましい」

わたしをそう思わせるような発言をする、態度をとる誰かが妬ましい
わたしを誰かや何かの基準と照らして下に見るひとが妬ましい
わたしよりもキラキラして見える、わたしの目指すところに軽く手が届いてしまうように見えるひとが妬ましい

わたしは誰かと比べられたくないはずなのに。
誰かとわたしは同じではないはずなのに。

わたしは、妬ましい。
妬ましいから、落ち込んで怒って睨んで声を上げて苦しんでいる。

「妬ましい」を受け入れれば、もっと強くなれる気がする。
何かの理由をつけて、相手を嫌わないように。
ただ「妬ましい」のだ、と自分でしっかりと認めていけるように。
なにが「妬ましい」のか、見積もれるようになって、素直に自分がそこを目指せるように。

「妬ましい」を味方にしたい。
今は難しいけど、ね。

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