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誰もが好きになる映画じゃないかもだけど、ぼくは大好きだし、ぼくが好きな人に観てほしい映画だったし、こういう映画が好きという人が好き。#さよならほやマン

誰もが好きになる映画じゃないかもだけど、ぼくは大好きだし、ぼくが好きな人に観てほしい映画だったし、こういう映画が好きという人が好きです。相生座ロキシーで上映中なので長野市近郊の方はぜひ。

キャスティングが奇跡のように機能している映画でした。アフロ(MOROHA)、呉城久美、黒崎煌代、松金よね子の存在感が素晴らしかった。特に呉城久美さんが凄かった。同じ台詞を他の俳優に言われてもこんなに揺さぶられないと思う。後半ボロボロ泣いてしまった。弟役の黒崎煌代さんも本当に素晴らしかった。Carine Khalife のアニメーションも大友良英さんの音楽も素晴らしかった。観れて幸せでした。

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漫画だと素晴らしいのに実写化した途端にマジックを失う映画ってありますよね。ペラペラの張りぼてみたいになってしまう映画。あれはリアリティを付与できなかったというよりも物語的なマジックを起動できなかった故の失敗だとぼくは思っています。必要なことは漫画的世界を再現することよりも、漫画が描いている物語的世界の創出であって。それができないとペラペラの張りぼてだけがただ残ってしまう。こう書いているぼくはただの素人ですが。

『さよならほやマン』は漫画原作でも何でもないのだけど、物語的なマジックにあふれている映画だと思います。それはつまり、作品世界で生きる人たちについて「確かにそこにいる」とぼくたちが信じられるかどうかが最初の立脚点で。そこが信じられるからこそ、監督がやりたいこと描きたいこと叫びたいこと残したいことが物語という器の中で芽吹き始める。マジックが動き始める。この作品に登場する役者たちはそこはもう何の問題もなくクリアしているばかりか、今そこに生きる者としてバシバシ体重を乗っけてくるんですよね。特に呉城久美さんと黒崎煌代が素晴らしかったです。

ぼくたちは人生において、「良い/悪い」とか「正しい/間違っている」とか理屈でものごとをそんなに決めない。だって、そうしちゃうんだから。そうしちゃうのが自分なんだから。自分でも訳も分からずに。そうしちゃってから痛い目にあったり、がっつり落ち込んだり、膝を折ったり。愚かさを愚かなままに体験した後でなんとか辻褄を合わせていく。理屈なんか通ってなくても、「今はこれをやるべきだ!」「こうしよう!」と思うことはいくらでもある。「やろうと思ったのにできなかったこと」「勇気を出せなかったこと」「悶々と考え続けて何もできずに今も悶々としていること」も山のようにある。やって後悔したり、やらずに後悔したり。『さよならほやマン』に登場する人たちは皆そういう人たちです。ぼくたちと同じように、「良い/悪い」とか「正しい/間違っている」じゃないところで、理屈の通じないところで、訳の分からない自分に振り回されながら、「それでもやっぱり!」と自分を生きていく。役者の皆さんが体重を乗っけてスクリーンの中で生きている。歩いている。走っている。わめいている。落ち込んでいる。受け入れている。勇気を出している。観客としてその波動にガンガン揺らされながらマジックがぐんぐん動き始めるわけで、後半はもうノックアウトでした。ボロボロ泣いた。

濱口竜介監督が寄せたコメントに本当にそうだなあ…と納得。そういう映画だと思います。

「こんな話があるだろうか」という疑問は「こんな話こそあってほしい」という願いに見ていくうちに変わった。それはキャスト一人ひとりが自分の人生をこの物語に持ち寄った結果で、それ自体が一つの奇跡のようだった。
濱口竜介

https://longride.jp/sayonarahoyaman/index.html

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