大人になれば 22『今月買った本・引きつけるもの・うたかたの偶然』

秋です。
読書の秋なのです。
読んでないけど。
すぐ寝ちゃうけど。

唐突ですが、今月買った本をリストアップしてみる。
ほとんど読んでないけどいいんです。
本を読むだけが本好きではないのだよ、かえるくん。

今月買った本と漫画
『松本大洋+ニコラ・ド・クレシー』ムック
『トゥルー・ストーリー』ポール・オースター
『嘘みたいな本当の話』内田樹、高橋源一郎
『母という病』岡田尊司
『ぼくがコントや演劇のために考えていること』小林賢太郎
『演技と演出』平田オリザ
『金子みすゞ選集 明るいほうへ』金子みすゞ
『放送禁止歌』森達也
『地方食ぶらり旅 駅前グルメの歩き方』森田信吾
『小澤征爾大研究』春秋社
『美術、応答せよ!』森村泰昌
『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』藤田貴大
『ぼくには数字が風景に見える』ダニエル・タメット
『おつまみワイン亭』平野由希子
『絶叫委員会』穂村弘
『あ・うん』向田邦子
『世界の奇跡』庄司浅水
『ちはやふる』末次由紀
『うせものの宿』穂積
『阿・吽』おかざき真里
『懲役339年』伊勢ともか
『flat』青桐ナツ

うーむ。思いつきでやってみたけど、今の自分の興味や、これから知りたいと思っていることが透けて見えて意外と面白い。一年前は児童書ばかり買っていたし、来年の今頃もきっと全然ちがう本を買っているんだろう。もしかしたらモグラの専門書を夢中で読んでたり。
そう思うと、自分のことなんて何にも分からないじゃないかって思えてちょっと嬉しくなる。

ほとんど読めてないけれど、それでも中には痕跡を残す本もあって。そんなときにぼくは出会うことの不思議さを思う。

季節の変わり目になると自分を持て余すくせがあるぼくは、今月もやっぱり少し焦点が合わない日々を送っているのだけど(「そのペンとって」と言われて、「ソノペントッテってどういう意味だろうなあ」なんてぼんやり考えていたりする)、ある種の本は焦点が合っていないぼくの目をふと止めたり、ぎゅーっと引きつけたりする。

例えば、金子みすゞのこの歌はぼくの目をふと止めた。

『お花だったら』

もしもわたしがお花なら、
とてもいい子になれるだろ。

ものが言えなきゃ、あるけなきゃ、
なんでおいたをするものか。

だけど、だれかがやって来て、
いやな花だといったなら、
すぐにおこってしぼむだろ。

もしもお花になったって、
やっぱしいい子にゃなれまいな、
お花のようにはなれまいな。

例えば、おかざき真里『阿・吽』でのこの見開きはぼくの目をぎゅーっと引きつけた。

“犀の角のごとくただひとりゆけ”

むさぼらず、虚言せず、渇求に負けず
虚飾せず、曇りと幻影を払え、
この世界の中で——拘るな。
犀の角のごとくただひとりゆけ。

魚が水中で網を破り泳ぐように、
火が既に焼いた場所に戻らぬように、
結び目を引き裂け。
犀の角のごとくただひとりゆけ。

金子みすゞの歌もどこかで目にした覚えがあるし、ニーチェにも強く影響を与えたらしい仏陀の「犀の角」も山崎努のエッセイ経由で読んだ記憶がある。
だけど今になって、世界とのピントが合わないぼくの腕を掴んでぐいっと引き寄せたり、ふと足を止めさせたりする。

ぼくはいつも不思議に思う。
いったいこの世界はどれだけの偶然とどれだけの偶然が結びついて、うたかたの意味を作り出すのだろう。そして、意味ですら偶然だとしたら、そこに意味を見い出すぼくらはいったいどんな存在なんだろう。

ある夜、ネオンホールの哲郎さんとくだらないメールをしていたら、「音楽と仲良くなりたいです」という一文が届いて。
その日の夜はその気持ちがとてもよくわかる気がした。
ぼくも自分を取り巻く世界と仲良くなりたい。好きな本や、好きな人や、静かな雨や、あたたかな夜や、ご飯と一緒に。
半径一メートルでいいから。それがうたかたの偶然であったとしても。


執筆:2014年10月26日

『大人になれば』について

このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。


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