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八百年前から歌っていること。

夢よ夢 夢てふ夢は夢の夢 浮世は夢の 夢ならぬ夢

何気なく開いたサイトの片隅の名言欄にこんな和歌が載ってた。
詠み手は小笠原長行で明治の辞世の句。
恥ずかしながら何を成した人か知らないけれど、
『ただ狂え』のように人は何百年も前から同じことを歌ってるんだと思った。
生きるって何だろうって。

*  *  *  *  *

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

そういえばずっと気になっている詠み人しらずのこの歌は室町時代の『閑吟集』によるそうなのですが(読んだことがない)、その序文がまた素晴らしかったです。
以下紹介サイト『風薫る道』から。

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(引用始)
編者は序文で自らを「ここに一狂客あり」といい、本名を明かしていません。
この序文がまた美しい。
「小歌の作りたる、独り人の物にあらざるや明らけし。
風行き雨施すは、天地の小歌なり。
流水の淙々たる、落葉の索々たる、万物の小歌なり」
「命にまかせ、時しも秋の蛍に語らひて、月をしるべに記すことしかり」
(引用終)
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自分と世界とをフラットに捉えている八百年前の日本人に今のぼくがとても共感するのが不思議でもあり、心地よかったり。
歌と風や水や落葉は同じものだという視点をもつ編者、小さな世界にとどまることなく「狂え」という振り切った表現にたどり着く詠み手。
どちらも素晴らしい。

十二月二十一日(二〇一一年)にネオンホールでおおはた雄一さんのライブがあり、とっても素晴らしかったのですが、おおはたさんのライブでぼくがいつも密かに楽しみにしている曲がかまやつひろしの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』です。

この曲は本当にかっこよくて、かまやつひろしもおおはたさんもどちらも素晴らしいのですが、今日たまたま『閑吟集』について考えているときにそういえばと『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』の歌詞を思い出しました。

こんな歌詞です。

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君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安いバーボンのウィスキーでも
そうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう
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人は何百年も前から同じことを歌っている。
小笠原長行の辞世句から閑吟集を渡り、かまやつひろしへ。
人は愚かなことを繰り返して、愚かなままに生を歌っている。
良くも悪くも。
そんな当たり前のことを思う日。
でも、今日はいい日だ。

『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』

(二〇一二年十二月)

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