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踏切_3

父はまったく料理をしない人だった。何かを作っているのを私は見たことが無かった。けれど母が倒れて退院後、父が面倒を見ることになり自分が倒れるまで何かしら自分の食べる分を作っていたのだろう、けれどうまく想像ができない、台所に立つ父の姿を想像できないのだ。
あれはいつだったろう、母が婦人会かなんかで外出した日曜日、午後に帰宅した父は空腹を訴えた。私はインスタントラーメンを作り父はそれを黙って啜っていた。父は不器用だったわけじゃない。ある時、林檎の皮を剥いている母の側で「それじゃ食べる分が無くなるよ」と文句を言った、じゃあ自分で剥きなさいよ、と言われた父は包丁を受け取ると恐ろしいほど薄く皮を剥き、それは繋がったままだった。林檎は表面の皮が無いだけで元の形と変わらなかった。けれど私が見たのはそれ一回きりであとは母が剥いた林檎を父は黙って食べていた。私は小学生だった。

何故憶えているのだろう、それは母と私の些細なゲームだった、私は母のそばに陣取り剥いた皮をすぐさま食べていた。母は笑っていたと思う、わざと皮を厚く剥いたのかも知れない、すぐにちぎれる皮を笑って食べていた。

私は林檎の皮を剥くたびに、それらの事を思い出す。それを食べる人も居ないのでわざと皮を厚く剥くことも無いが、あれほど薄く剥くことも出来ない。けれど少しだけ皮がちぎれないように注意しているような気もする、私は笑っている。泣いているのかもしれない。

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