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fictional diary#12 水から生まれる

牧草地や畑に囲まれた小さな町の、教会につづく道の途中でふしぎなものを見つけた。パン屋や雑貨屋、薬局など地元の店が軒を連ねるなかに、薄暗い古物屋があって、使い古しの家具や食器を売っていた。その店先に、灰色の石でできた大きめの水差し、のようなものが出ていて、なかには水がいっぱいに満たされているのだ。膝より少し高いくらいの大きさで、小ぶりだけれどずっしり重たそうだ。魚でも飼っているのだろうか、と覗き込んでみたけどなにもいなかった。店の中から、灰色の服を着た小柄なおばあさんが出てきて、それは売り物じゃないよ、とわたしに言った。これ幸いとばかりに、この水差しはなんなのか、どうして水を入れて置いてあるのか、とおばあさんに質問をしてみた。すると意外な答えが返ってきた。その水差しは、いちど虹のふもとになったことがあるのだという。どういうこと?と聞くと詳しく説明してくれた。この水差しが店にやってきたときに元の持ち主が語ってくれたところによると、ある日、庭に置いてあったこの水差しから、虹が光でできた植物の茎みたいにすっくと生えて、空へ伸びていたのだという。持ち主は驚いて家族を呼び寄せ、カメラを取り出して写真も撮った。おばあさんはその写真を見せてもらったが、時代が時代で、白黒写真だったので、なにか影のようなものが映っているのがかすかに見えただけで、虹かどうかはよくわからなかったのだそうだ。だから確かめてみたくてね、こうやって毎日店先に置いてるんだよ。一度あることは二度あってもおかしくないからね。わたしが死ぬのが先か、虹が出るのが先か、根くらべさ。おばあさんはそう言い、高らかに笑った。わたしもつられて笑った。雨上がりの歩道に雲間から差し込む光が当たり、いまにも虹が現れそうな気配だったけれど、澄んだ空気にはなんの色もついていなかった。いつまでもお元気で、とおばあさんに挨拶して、わたしは坂の上の教会を目指して、もう一度歩き出した。


Fictional Diary..... in企画(あいえぬきかく)主宰、藍屋奈々子の空想旅行記。ほんものの写真と、ほんとうじゃないかもしれない思い出。日刊!