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プロモデラーの師匠と情けない俺の話 第一話 今師匠との事を書こうと思ったきっかけ~羨ましい師弟関係~

俺にはガンプラを作るにあたって基礎技術を教えてくれたプロモデラーの師匠がいるんだけれども諸事情があり長年挨拶にすら行けていない。
当時は週一ペースで通ったけれど二年ぐらいで自然と行かなくなってしまい18年ぐらい会っていない、近況報告もしていないダメな弟子だ。
弟子といっても自分の好きな時にふらっと行って、持ち込んだガンプラを雑談しながら作ってわからないところを質問して教えてもらい数時間居座るという、今思えば何とも自己中な見習い弟子だった。
受講料も無く無料で教えてくれた師匠は、何か悪い人に捕まったら詐欺にでもあうんじゃないかと少しだけ心配になるお人好しレベルに優しかった。


当時19歳の俺に真剣に向き合ってくれたことでガンプラを通じて人間性を学ばせてくれた、今の自分の価値観に大きな影響を与えてくれた恩師である。
とは言え、なかなか変わり者で自信家で繊細な部分があった人なので大人同士では回りに迷惑をかけていた部分も少なくない愛すべき人であった。

今思えば師匠の作業場では地方局のFMラジオがいつも流れていたし、自宅でガンプラを作るときは当時友人が貸してくれた録り溜めた「伊集院光の深夜の馬鹿力」を聴いていた。
この頃から俺のラジオ好きは始まっていたと思う。


去年「伊集院光とらじおと」という番組をきっかけにして伊集院光さんとその師匠である楽太郎こと六代目三遊亭円楽さんが長年微妙な師弟関係を続けていたが和解して落語の二人会公演を披露した。
伊集院光さんが三遊亭を破門になってからお互いギクシャクしつつも師弟関係を続け番組などでしばしば悪がらみしたり、悪態をついたりしているのをニヤニヤ聴いていたラジオリスナーとしては嬉しいエモい展開であった。


と同時に俺には特別な羨ましいという感情が沸き上がった。
自分から弟子入り志願しといて自分から門を閉め自然消滅破門になっていることに後悔し続けていたからである。
実は10数年前にもう一度門を叩こうとしたことがあったがお引っ越しされていて音信不通になっていてどうにもならなかったのである。


師匠は周りに詳しい事情を話さず住まいを変えプロモデラーも辞めてしまったとのことなのでそれ以上の詮索はしなかった。
プロに御教授頂いていたという恵まれた環境を理解できず若気の至りで遊びたい盛りになっていた情けないバカ弟子は自分から自分勝手に門を閉め、数年たったあと優しすぎる師匠ならまた教えてくれると鷹をくくっていたが二度と教えてもらえない現実を突き付けられたのであった。

という過去を去年から強く思い出し良くも悪くもガンプラブームが再燃している2022年今現在、20数年前に表には出なかったが実力は日本一クラスで人一倍優しいプロモデラーが裏方として活躍していたということを今のガンプラファンの方やいろんな方に知って貰いたいと思い当時のことを書き記していこうと思う。
当時はsnsなんかないし師匠本人も表に出たがるタイプでは無かったが今なら少し日の目を見てもいいのではとバカ弟子が勝手に思っている。
余計な事してるとどこかで思ってたらごめんなさい。
お金儲けがしたくて書くわけじゃないから師匠なら許してくれるでしょ(笑)

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