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プロモデラーの師匠と情けない俺の話 第七話 ~師匠の仕事はフィニッシャー~

新商品のプラモデルが発売されるまでの流れとして、デザイン設計されたものを立体物として興す原型師という仕事があるのは何となく思い浮かぶ人も少なくはないと思う。現代ではプロアマ問わずYouTubeで検索するとフィギュアなどの原型を作る動画が簡単に観ることができる。非常にありがたい時代である。プラモデルの原型の設計はコンピューターで出来るようになり技術の発達がすさまじく3Dプリンタなどの登場で進化し続けている。師匠が現役だった20年前頃でもすでにそれらが出始めていたのでその頃からプラモデルの原型師は少なくなっていたらしい。

師匠の仕事はガンプラのパッケージ写真のプラモデルを完成させるお仕事だったので原型師とは似て非なる仕事だった。バンダイから依頼が入ると原型の模型が作業場に宅急便で届き設計図やら細かい指示はFAXで送られて来る。中にはメールで来ていたものもあったかもしれない。製品版の物では無いプロトタイプなので3D出力された断層の痕がくっきり残るパーツがあったり、そもそも足りないパーツがありフルスクラッチの依頼と設計図があったり、ほぼ製品版のものが有ったり様々だった。それらのパーツを下処理し塗装し完成品として組み上げて完璧な状態にして宅急便で送り返していた。プラモデルの企画から発売までの流れは聞いた事が無かったのでよくわからないが師匠が作るものは製品化する前の最終モデルであるということは聞いた事がある。この仕事のことをフィニッシャーと言い、事務所の名前はBFC(ベスト フィニッシング クラブ)略してビーエフシーと呼んでいた。

俺の知る限りでは師匠が依頼されるのはBB戦士SDガンダムGジェネレーションFシリーズが多かった。なので当時新商品として発売されたもののパッケージを店頭などで見かけると師匠が作っていた事を思い出す。表舞台に名前が出たりすることは無い裏方だが何十年先までも残り、たくさんの人に愛される物を作った凄い仕事である。いつの日かバンダイナムコ様がパッケージの全面リニューアルをするというその日までの期限付きではあるが。

師匠が作ったものをはじめ、プラモデルの写真のリニューアルは是非ともしないでいただきたい!その当時の雰囲気を感じるものなので。

俺の携帯電話はその頃から電話帳を引き継ぎ続けて居るので今でもBFCが登録されている。かけることは無いが消せない番号なのだ。

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