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社会課題を解決するデザインの評価は30年後に結果がわかるもの(MASTER) PIECE Interview #2

What's your (MASTER) PIECE?

人と技術の関係が問われる時代。さまざまな地域や分野で100年後の進化の源泉になるような先駆者がいます。

【 (MASTER) PIECE Interview】では、その先駆者にー問ー答で、その胸にある思いをヒアリングしていきます。

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■プロフィール:廣瀬 圭治さん(ひろせ きよはる)
・神山しずくプロジェクト 代表
・キネトスコープ社 代表
・NPO法人グリーンバレー 理事

20代はバイクで全国を放浪。その後はVJとして全国のイベントに出演。映像クリエイター、グラフィックデザイナーを経て、大阪市にデザイン事務所を設立し、企業ブランディングを手がけてきた。2012年東京ミッドタウン企画展をきっかけに、神山町へ移住、田舎暮らしをはじめる。徳島県のデザイン振興担当、NPO法人グリーンバレー理事。2013年に人工林の新たな価値をデザインする「神山しずくプロジェクト」を発足。GOOD DESIGN 2017受賞。イタリア国際デザインコンペ A'Design Award 2019 ソーシャル部門 金賞受賞。

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Q.今のお仕事を教えて下さい


現在は、企業のブランディングを手掛けながら、神山町では、人工林の課題に対してデザインでアプローチする「神山しずくプロジェクト」を行っています。

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今、神山では人工林の過密によって地面が水を吸わず、年々水量が減っています。子どもたちに豊かな環境を残すこと。また、悪化する状態を知りながら行動を起こさない町の諦めムードを変えたいという思いがあり、人工林の現状を広く啓発したり、杉の有効活用を呼びかけたりする活動をスタートしました。継続性のある事業にするため、杉で作ったコップやお皿を販売しています。それ以外にも様々な仕事を同時並行で進めています。

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Q.なぜ徳島県 神山とご縁があったんですか?


もともとのきっかけは、2012年東京ミッドタウンで行われた「わたしのマチオモイ帖」という企画展でした。そこで、友人を介して神山町の存在を知りました。独立当初、僕は『これからインターネットが発達すれば、今以上に人と人がつながり、どこにいても仕事ができるようになる』と考えていました。


ネット環境が整い、都市部の企業と自由にやりとりする神山の働き方や、これから仕掛けていこうとする「創造的過疎」の話を聞くと、独立当時に、思い描いた未来が神山から始まっていくと感じたんです。

そこで、居てもたってもいられず2012年4月、単身神山へいきました。現地で町づくりを行うNPO法人グリーンバレーの人々の姿に感銘を受け、サテライトオフィス開設の計画を進めることに。

神山ドローン

それからほどなく、移住の話を持ちかけられると、迷いこそしたものの2ヶ月後には「町の仲間に入れてください」と返答。通常なら1~2年かけて進める話を、わずか4カ月ほどの短期間で即決し、出会って約半年で電撃移住をしました。


Q.神山でやるメリットはなんですか?


大阪にいた頃に比べると、グラフィックデザイン、ウェブデザインという枠を越え、企業のブランディングや事業をトータルで請け負うことが増えました。デザインによって地域社会課題をどうやって解決すべきか? という点で物事を考えられるようになったかなと思います。

また、圧倒的にクリエイターの数が少ないので、、、、
徳島県の「クリエイティブネットワークコーディネーター」に任命され、県内のクリエイター同士が集まる場を設けたり、企業とクリエイターを繋げたりとデザイン振興にも主体的に関われています。

いちクリエイターでありながら、町の今後を決める重要な会議の場にも参加できたり。国会議員が地方創生の視察に東京から訪れた際など、国の取組みについて提言まで出来る機会をもらえたのも、神山にいるからこその経験だと感じています。

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Q.立ち上げの苦労はありましたか?


最初の苦労は、木工業界、地方自治体、林業関係など、味方になってくれる方が全くいなかったということでしょうか。当初、不自然な人工の森を自然な姿に戻し、その間伐材を資源として生かした神山らしい商品を作りたいというアイディアは、どこに行っても非常識だと言われ、相手にされませんでした。

なぜなら、杉は加工が難しいのです。木の中でも目立って柔らかく、赤と白の木目がくっきりと出てしまうため、木工業界では「建材としても食器としてもゼロ価値だ」と言われ続けていました。

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私のアイディアは、木工業界の非常識の上に成り立っていたので、みんな親切心で、「できないよ」と言ってくれていたのです(笑)

しかし、私は、そんな鉄壁のような業界の固定観念を知らなかったため、いつか誰かが出来ると言ってくれるのではと何人も何人も職人さんを訪ね続けました。しかし制作を依頼した木工所は「おまはんは木のことを何もわかっとらん。そんな仕事、引き受けるところはないで」と言われ続けました。

それでも、探し続けた結果、半年後に、ようやく1人の職人さんに出会えました。『宮竹木工所』の宮竹氏という方です。宮竹氏は、昔ながらの手挽きロクロで御椀(おわん)などの木工品を作る、熟練の職人。

木地師(きじし)とも呼ばれる匠でありながら、新たな挑戦にもひるまない真摯(しんし)な人物でした。かつては仏壇の装飾を行っていたものの、時代の変化に合わせて日用品にシフトし、相談に訪れた私に「一緒に挑戦しよう」という心強い言葉を返してくれました。

そして半年ほどの試行錯誤を経て、廣瀬氏が最初に目指していたものに限りなく近い試作品が完成しました。

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Q.いろいろな活動を続けられる中で、廣瀬さんにとっての(MASTER) PIECEとは何ですか?

私はデザイン畑の人間なので、業界人ぽく例えると『30−40年後に実をつけるようなもの』でしょうか。

市場が(短期的に)評価してくれるから、売れるから、このデザインで行こうという判断で進んでいくのは、正直かっこよくないと思っています。例えば、クールジャパンや、企業のものづくりやデザインは表面的で終わってしまうことが多い。

デザインは、本来、人や社会の課題を解決出来る力があります。そういった意味で、日本は本質的なデザインが全く足りていないのでそこをなんとかしたいと思っています。

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私がいる神山町では、課題はたくさんありますが、同時にその地域にしかない資源や資産がたくさんあります。しかし、そこに町の人達は気づいていない。気づくどころか、恥ずかしいとさえ思っている。

私は、神山町が持つ水源が宝だと感じる一方で、このままだと、この水源は未来に残らないという課題を知りました。

私は、単にかっこいい商品を作るだけでなく、その地域の課題をデザインで解決したいと思っています。新しい地場産業をデザインすることで、子どもたちのためのきれいな水源を守りたいと思っています。

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社会課題をデザインで解決するというアプローチの結果が(MASTER) PIECEだとしたら、その良し悪しは、自分が生きている時代にできないのではと思ったりもします。

ただ、私たちは、人口が伸びていく、経済が成長していく時代と、これから人口も経済も縮小していく世代の狭間にいます。私たちの世代のミッションは、過去と未来を見比べながら、今後の世代に何を残すかをフィルタリングすることです。安易に売れるデザインを追い求めてはいけないということは感じています。

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『何を次世代に残していくべきものなのか。』それを自身に問い続けて作り出すものこそ、私は(MASTER) PIECEなのではないかなと考えています。

私が今やっているように「水源を守る」という大きく長い時間がかかるものも含め、この努力が実るのはきっと30年後かもしれませんが、それがある未来のために私は、今できることを等身大でやっていこうと思っています。


■編集後記 by 取材者:前川 大地(木彫師)

インタビューを終えて、廣瀬さんの考えてる事、感じている事に強く共感を覚え、井波でこれから行っていくアクションに向けても大きな勇気をもらいました。昨年、実際に神山町を訪れた際、NPO法人グリーンバレーの活動を見聞きする機会を頂き、グリーンバレーが約20年もの歳月をかけて積み上げてきた神山町の現在を経験できました。また廣瀬さんの仕事場にもお邪魔する事ができ、その時の会話と空気感をイメージしつつ、今回のお話を伺いました。

 廣瀬さんが言われる「神山しずくプロジェクト」の立ち上げ苦労のお話には、私自身、木に関わる仕事をしている環境なので非常によく理解できます。既存の常識では考えられないアプローチをされたので、木工業界の反応は相当なものだったと想像します。

プロジェクトの第一歩である試作品の完成には、これまで積み上げ継承してきた木工概念を崩して、取り組まれた木地師の宮竹さんのチャレンジ精神と、それをつき動かした廣瀬さんの情熱と行動力の強さがあったのだと思います。デザイナーと職人の幸せな出会いであり、付き合い方です。井波にも、いや、井波だけじゃなく結構な数の工芸産地には、ここ数年、デザイナーと職人のコラボレーションという題目の事業が実施されています。肌感覚でしかないのですが、その多くが一方通行・消化不良の結果で終わっているのではないでしょうか。

その原因の一つとして、例えば、廣瀬さんと宮竹さんの化学反応からなる成功体験を表面だけトレースし、それほど想いも強くない両者が形だけ模倣して実績報告して終わっている状況が思い浮かべられます。

地域課題の解決にデザインは不可欠です。ただ、表層だけのデザインでは解決はしませんし、徒労感しか残りません。そのことを廣瀬さんは「市場主義のデザインはカッコよくない」と言っておられるのだと思います。

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(オンライン取材の様子)


神山でプロジェクトを進める廣瀬さんは、人工林の課題解決を、短絡的に考えるのではなく、根本的な「水」までたどり着き、そこから「杉と神山・神山と水」の関係を、過去から未来まで見据え、更に将来の子ども達のために継続的に取り組んでいく、と提案すことにより、神山の関わる人たちの心を突き動かしたのでしょう。

そこで重要なのは、廣瀬さんに説得力・熱意・活動力・覚悟があり、神山の人たちにしっかり伝わった事だと考えます。「人が突き動かされる元となるのはヒト」廣瀬さんの存在に改めてそう思うと共に、地域の気づいてない資源・資産を知らしめ、魅力あるモノに生まれ変えるデザインの力を再認識しました。

廣瀬さんが示す未来へのビジョンが次のつながりである、若者のろくろ職人誕生にまで発展していったのでしょう。改めて、今回のインタビューで、人と人との“出会い”が肝要なのだと、その“出会い”が更に次の“出会い”を生むのだと教えてもらいました。井波と神山、500キロ程の離れた距離ではあるけど、そこで未来を見据え何かしようとする狭間の世代がいることに嬉しい気持ちになり、我々の取り組みを行っていく上での心強い存在を得る事ができました。

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(取材者:前川大地)

廣瀬さん、ありがとうございました!

■廣瀬さんのその他の情報はこちらから

https://www.facebook.com/kamiyama.shizq/
https://www.instagram.com/kamiyamashizq/

http://shizq.jp/ https://shizq.stores.jp/

■井波で募集している伝統工芸マスターについてご紹介



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