見出し画像

片耳難聴歴22年。一歩前に進む。

私は生まれつき右耳が聞こえなかったから,
そのことは自分にとって当たり前のことすぎて,
改めて"片耳難聴"と向き合うことなんてしてこなかった。
だから今とても新鮮な気持ちで,こうして文章に起こしている。

耳が片方聞こえないこと,
それは私にとって,
幼い頃からのコンプレックスであった。
そして,度々そのことは,自分自身を嫌いにさせた。

小学校に入学した頃から,私は右耳が聞こえないことを友達に隠した。
そして,登下校の時や,机を合わせて話し合いをする時など,
学校でのあらゆる場面で,近くにいる友達の言っていることが聞こえないという困難を経験した。
私は愛想笑いを覚えた。しかし,友達の話にうまく応えることができないということから,
自分は嫌われ者で,いつかいじめられる人間なんだと思っていた。

それでも有難いことに,幸いなことに,年を重ねても私の周りにいじめっ子は現れなかった。
でもかえって私は,ますます耳が聞こえないことを言い訳にするのが嫌になった。
片耳のせいで,人生を損しているとか,そんなの悔しくて絶対に思いたくなかったから。だから私は普段,自分は両耳とも聞こえる人なんだと,無意識ながらに意識していた。いつの間にかそれが,耳のことを誰かに打ち明けない理由になっていた。

人の話が聞き取れなかったとき,ぼーっとしているように思われた時,上手に受け応えができなかったとき,どこから物音が聞こえたのかわからずあたふたした時などは,
全部,耳のせいじゃなくて,自分のせいにした。
ぼーっとしていて,不器用な人間なんだと,
何度も自分を責めたし,自分自身を嫌いになった。

でも,なんだろう。
それじゃあしんどいということに,ある日ふと気が付いた。
生まれてから20年以上は経った後のことだったと思う。

もうほんとにこれ以上,自分のせいにするのがしんどかったし,
やっぱり片耳聞こえないという仕方のない理由がちゃんとあるんだし,
それに,私が思っている以上に実は周りの人たちは何とも思っていないんだなあって。

それに,両耳聞こえる人たちとおんなじように,健康で自由に生活できるているのにもかかわらず,その事実にしんどさを抱えるだなんて,ぜいたくな話だなあって。だから,

片耳が聞こえなくても,というか耳の不自由さにかかわらず,
毎日頑張って生きている自分のことを,純粋に,褒めよう。
そして,片方の耳が聞こえないというアイデンティティ,個性をもった"わたし"を
素直に好きになろう,と思った。
時々不便なことはあるけれど,そのことを自分自身のせいにする必要はないんだなと,思えるようになった。

だからといって,それからあえて人に耳の話をすることはなかったけれど,
最近考えるようになったことがある。
それは来年,社会人になってからは,耳のことを人に伝えていくようにしようということ。
私のためにも,そして,片耳が聞こえないということの認知のためにも。
そのほうが自身にとって過ごしやすい環境ができるし,多くのメリットがあるのではないかと思っている。

はじめはちょっと勇気がいると思う。けど,
一歩また前に進めば,
今よりもっと,わたしのことを好きになれそうな気がする。



photo location: ニュージーランド アオテアロア

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?