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天皇誕生日に振り返るべきこと。

2月の天皇誕生日、まだ慣れない。

今日は天皇誕生日である。令和になって5年も経つが、いまだに12月が天皇誕生日であるという感覚が身体にしみついてしまっていて、2月の天皇誕生日に慣れていない自分がいる。

今年の天皇誕生日はコロナで行われていなかった一般参賀も行われたようだ。少しずつ世の中が「普段どおり」に戻り始めている現象のひとつなのかもしれない。陛下が仰せのとおり、国民一人一人にとって「穏やかな春」が訪れることを願わずにはいられない。

感動するその前に。

天皇陛下は記者会見で次のように述べられている。

”雅子が29歳半のときに結婚してから、その人生の半分以上を私と一緒に皇室で過ごしてくれていることに、心から感謝するとともに、深い感慨を覚えます。この30年近く、2人で一緒に多くのことを経験し、お互いに助け合って、喜びや悲しみなどを分かち合いながら、歩んでまいりました”

天皇陛下 天皇誕生日記者会見

これに対するネットの反応は概ね「ウンウンそうだよねえ感慨深いよねえ」みたいなものが多い。筆者もご夫妻が積み重ねられてきた結婚生活の重みは感動を呼ぶと思うのだが、一方でこうも思うのだ。

「みんな皇太子時代にバッシングしまくってたの忘れたの?」

と。

週刊誌報道に大衆が乗っかる構図。

皇太子時代の両陛下はあらゆることで叩かれていたように思う。小和田恒氏の粗捜しや、流産へのバッシング、愛子さまが登校しない理由がどうだ、人格否定発言が生意気だ、公務しないのにスキーに行くとは何事だ税金返せみたいな感じで。

その多くが、週刊誌があることないこと書き立てて、そこに大衆が乗っかってバッシングしていた構図があったように思う。「ご学友」だの「宮内庁関係者」だの「皇室関係者」が、「皇室の誰それはこんなヘンな言動をしている!」みたいなことをコメントしている記事が典型だろう。

しかし今は、国民全体がそれを忘れたかのように礼賛一色である。私は別に皇室に否定的な感情はないので、礼賛自体はなんとも思わない。ただ、バッシングしていたことの反省がどこからも聞こえてこないのは非常に気持ちが悪いと思うのだ。

バッシングに加担、してませんでしたか?

ただ、大手のメディアがそれを言うことはないだろう。「国民は反省すべきだ!」みたいなことを書いたり喋ったりしても、受け手は不快な気持ちになるだけで、全くメディアのカネにはならないからだ。だからこそ私は書く。

国民は今まで皇室に対してやってきたことを謙虚に振り返るべきだと。

私自身も、皇太子夫妻バッシングに安易に同調してしまった過去がある。安易に流れに乗ったことは本当に恥ずべきことだったと思っている。

反省がなければ歴史は繰り返される。

皇室へのバッシングは、何も今の天皇陛下世代に限ったことではない。上皇ご夫妻の世代も様々にバッシングを受け、上皇后陛下が失語症になったという事実はご記憶のある方もいるだろう。

私が心配しているのは、将来悠仁殿下がご結婚されるときどうなるかである。このまま国民に反省がなければ、歴史は繰り返され、お妃となる方やそのご家族に被害が及ぶのではないかと考えている。

天皇誕生日は祝いの気持ちとともに、振り返りと反省の気持ちを持つべき1日であるべきだと私は思うのである。

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