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AIが文章作る時代に人間がnoteを書きはじめたお話

ChatGPTくん、すげーっすね。

今のネット界隈でホットな話題の一つがOpenAI社がこしらえたChatGPTだ。質問を入れるとめちゃくちゃ上手い文章で回答が返ってくる。「こういうテーマで小説作ってくれや」と言えば小話くらいは楽勝で作れるし、「取引先に謝るメール作って」と言えば、気が重いメール作成作業の7割くらいはAIがやってくれて、ちょっと修正を入れれば謝罪メールの出来上がりだ。

となるといつも議論にあがるのが、「AIに人間のお仕事が奪われるのかどうか」である。ツイッターでいろんな有識者コメンテーターの皆様がそれぞれ意見を表明しているが、ライティングについては多くが奪われてしまうと思っている。

生き残る表現はなんだ?

一方で、AIが隆盛を極めてもしぶとく残っていく表現はなんだろうか。これも色々な意見があるが、私は大きく下の3つだと思っている。

  • その人にファンがついている表現

  • 超専門知識が必要で間違いが許されない表現

  • 趣味の表現

順番に見ていきたいと思う。

その人にファンがついている表現

読者の皆さんは、往々にして「何を言うか」より「誰が言うか」が世の中で重要視されていることを知っているだろう。無名な人が述べた正しい見解より、有名人が垂れ流すデマが幅をきかせる世の中である。そういう風潮の是非はおいておくが、「その人が書く文章自体に価値がある」という状態はなかなかAIが駆逐するのは難しいのではないかと思う。

なので、固定ファンがいる有名ライターは時代の荒波を乗り切っていくだろう。むしろAIを味方につけ、ラクに文章を作り続けていくのかもしれない。

超専門知識が必要で間違いが許されない表現

ChatGPTは極めて自然で美しい文章を作る一方、ときにとんでもないデタラメをシレッと述べてしまうことがある。ChatGPTの詳しい仕組みはきちんと理解していないが、それらしいワードを機械学習でそれらしくピックアップしそれらしく繋いでいるようだから当然だろう。

専門知識の応対を学習させて答えさせるような試みもされているようだが、何かしらの技術的なブレイクスルーがないと、「致命的な誤りを回答してしまうリスク」はなくならないのではないかと思う。

そういう意味で、間違いが絶対に許されないシーンでは、AIを使うとしても「人間の監修」を必ず入れる必要があり、監修を担当する専門家の仕事はなくならず、むしろより重要なものとして捉えられていくことだろう。

趣味の表現

これは私の願望もあるのだが、どんなに機械が素晴らしい文章や絵を作る時代になっても、人間が「表現したい」という欲求は消えることがないと信じている。どうだろう皆さん、そういう未来になると思いますか?

もしかしたら機械にすべてを委ね、欲求が消えてなくなるという未来になってしまうかもしれない。だが、それでは面白くないだろう。なんのために生きているのかわからない。

じゃあお前はなんで書いてるんだ?

そんな中で、なんでnoteなんて始めたかというと、趣味の一環である。文字を書くのがもともと自分は好きなのだ。

そして、あわよくば読者が増えて、「ファンがついている表現」になったらええなーとか課金してくれる人が出てくればいいなーという下心もある。要はnoteを始める多くの人と同じである。

継続は力なり。1日1本365日書きます。

私は怠惰な人間で、自分でケツをぶっ叩かないと動けない。なので、ここに目標を設定する。毎日1本Twitterを中心としたネットでホットなテーマについて、よしなしごとを書き続ける。やっぱり継続して積み重ねたものは大きいと思うのだ。

あと細かい方針としては、

  1. 炎上に気をつける。言葉遣いに気を使う。

  2. ファクトとエビデンスを大事にする。

  3. 明るく楽しく元気よく書く

こんなところだろうか。365本書き続けられたら誰か祝ってください。ぼちぼちがんばります。

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