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Wiktionaryの(非)ススメ

なんだかしばらくリアルで忙しくしている間にフォローしてくださった方々がいらっしゃるみたいなので、お礼を兼ねて、今回はWiktionaryというサイトの紹介と、使い方について少し話をしてみたいと思う。

Wiktionaryというのは、各言語の単語ごとに記事がある、まあ言ってみればWikipediaの語学辞書版みたいなもの。例えば英語のfaceとかで調べてみると、最初に語源(etymology)の説明があって(出典があったりなかったりするけど)、意味と例文がついている。faceだったら、フランス語からの借用語で、元を辿ればラテン語のfaciesに遡る、とかいう情報が手軽に手に入るので非常に便利なサイト。単語によってはその語源となる印欧祖語の形の記事まで飛べるので、ちょっと語源を調べたいときには重宝する。語学辞典だったらネット上にもっといいものがいくらでもあるので、むしろ簡易的な語源辞典としての役割の方が大きいんじゃないだろうか。

しかしながら、このサイトにもWikipedia系のサイトにありがちな欠点がいくつかある。具体的に言うと、

ピンキリ:まともな記事とそうでない記事の落差が激しい。

あんまり信用できない:出典がないことも多い。

特定の学派に見方が偏る:あまり受け入れられていない仮説を無批判に載せたりする人がいる。

この辺りだろうか。これを踏まえて、個人的に妥当だと思うWiktionaryの活用法を考えてみようと思う。

まず、どのような記事が良く、どのような記事が悪いのか、印欧祖語の語彙の記事からいくつか例を挙げる。

よい例

比較的まともな例として挙げられるのが、この代名詞*is「これ、それ」の記事。

この記事のどこが比較的まともかというと、研究者ごとの見解の違いをある程度拾えているところ。この単語の場合には、SihlerとRingeとBeekesという三者の再建をちゃんと載せている。もちろんこれ以外にもいろいろ再建の案はあるが、これだけ挙げられれば最低限の水準をクリアしていることは間違いない。

そして、研究者的に最も重要なのが最後の参考文献。Ringeは数年前に第二版が出ているけれども、ここまで出典がちゃんと書いてあればまあ信用できるといえる。論文にするには全然足りないけど。

つまり、出典がはっきりしている記事はまともである、と結論づけられる。

悪い例①:学派が偏っている例

次は悪い例を見よう。今度は印欧祖語の「私」という単語の記事。

一見すると、六人の研究者の再建が載っており、さっきの奴に負けず劣らずちゃんとした記事に見える。

しかし、これには落とし穴がある。というのも、この六人のうち、下四人(Beekes, Kloekhorst, Kortlandt, de Vaan)は全員ライデン(Leiden)学派なのである。事実上さっきの三人の場合と変わらないのに、あたかもライデン学派式の再建が多数派であるかのように見えてしまうので、これは駄目な例である。

悪い例②:学派がごちゃごちゃな例

この「兄弟」という単語の印欧祖語形の記事も、悪い例として使える気がする。

問題となるのはこの再建(Reconstruction)の部分。

なんだかなあ、と思うのは最後の部分で、まずEichnerの法則は必ずしも全員が受け入れているわけではない(研究ごとに載ってたり載ってなかったりする)。しかしこれは些細な点で、本当に問題なのは最後のacuteとcircumflexの起源のところ。これは少数派どころか、とある一人の学者とその学生しか信じていない仮説のはずである。そんなものをさも当たり前であるかのように載せてしまっている。さらにひどいのは、その学者の研究を参考文献に挙げていないことである。⬇

結論

このように、Wiktionaryは手軽だけど質はピンキリである。これはどのように利用するのがよいだろうか。私からまず声を大にして言いたいのは、「レポートには引用するな!」である。学術的な使用に耐えうるものではない。

ではどう活用すべきか、というと、おそらくはこういうnoteやtwitterのような研究以外の場所で、「Wiktionaryにはこう書いてあった。知らんけど。」とWiktionary情報であることを明示して使うのが良いんじゃないだろうか。こうすればみんな所詮はWikipedia系の記事だと眉に唾をつけて読めるし、専門の人間や興味がある人は勝手に記事内に挙がった出典まで遡って調べられるので、比較的誤解を生みにくい、ような気がする。一番いけないのは、Wiktionary情報であることを明示せずに「実はこうだったんです!」とドヤ顔で語ってしまうことである。

私もWiktionaryは手軽なのでよく使うけれど、気になったら語源辞典を引いて裏をとるようにしている。印欧祖語の場合、最悪Pokornyのやつ(⬆の画像内に挙がってるもの)は(めっちゃ古いけど)多少増補改定されたものがネット上でpdfで配布されてるから、気になる人は入手しておくといいかもしれない。

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