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ドはドーナツのド

孫はついこないだのおやつもドーナツだったじゃないかと妻に文句を言っている。
今の子は贅沢だ、などと野暮なことは言わない。
私もそうだったから。

「またドーナツぅ?」
私はばあさんに文句を言った。
「こないだ好きって言ってたじゃないか」
「同じものばっかりじゃ飽きちゃうよぉ。おばあちゃんぜんぜんわかってないよぉ!」
子どもは自分の叫び声で勝手に盛り上がりさらにぐずる。

そこでじいさんの登場。
「ばあさん。わしリンゴが食べたいから剥いておくれ。一玉は食べきれないから仲良く三人で分けて食べよう」
三人でリンゴを食べた。
じいさんはリンゴとドーナツの組み合わせで見事な落としどころを作ってくれた。
子どもの涙はすぐに乾く。

孫はばあさんにただ甘えたいだけなのだ。
ばあさんはただ孫の笑った顔が見たいだけなのだ。
ドーナツが問題じゃない。

大人になると現実的で味気ないことが増えてくる。
ずいぶん長い時間を与えられているはずなのにあの幼い頃のあれほどふんわりした甘い思い出が見つからない。
幼い頃はあんなに短いのに。

出張先からの降雪渋滞でばあさんの最期に立ち会えず、ばあさんと私の物語は私が不幸者の孫の役を演じて幕を下ろした。

妻が、今、他に用意していないからねえ、と困った様子を見せている。
「よし、これを見てごらん」
私はフォークでドーナツを横から突き刺して穴から覗いた。
孫は怪訝な目で見る。
「穴があるからドーナツだ。この穴もドーナツの一部なんだぞ」
と言って、孫にも覗かせる。
「穴まで届くくらい大きな口でドーナツを齧ってごらん」
孫がその通りにかぶりついた。
「どうだ。ドーナツは穴まで甘くておいしいだろう!」
孫は首をひねって、ん?と言っているが、もう涙は乾いている。
妻は微笑み、ドはドーナツのド♪、と歌い始めた。
私は幼い私のために鼻歌を歌いながらドーナツを買いこむばあさんの姿を思い浮かべた。

ドーナツが問題じゃない。