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INDY500で3勝を挙げたジェントルマン ”ローン・スター・JR”

カメラを向けたら笑顔で手を振ってくれたJR。レイバンのサングラスがキマリ過ぎ。ジョー・バイデン大統領より似合ってます!

 第105回インディアナポリス500マイルの公式練習が行われているインディアナポリス・モーター・スピードウェイ。アロウ・マクラーレンSPのピット・スタンドにインディー500優勝3回、インディー500ポール・ポジション獲得も3回という素晴らしい戦績を誇るテキサス出身の元ドライヴァー、ジョニー・ラザフォードが陣取っておりました。
 彼の1974年と1976年のインディー500優勝は、マクラーレンがエントリーしたマシン=マクラーレンM16・オッフィーで記録されました。いまでこそF1グランプリの中心チームとなっているマクラーレンーーアイルトン・セナ、ホンダ・エンジン使用での活躍で日本でも名を馳せましたよね?ーーですが、60〜70年代の彼らはF1で頑張りつつ、北米大陸のCan-Amシリーズ、インディーカー・シリーズで大活躍をしてたんです。

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1974年にインディー500での1勝目を挙げた時のジョニー・ラザフォードとマクラーレンM16オッフィー。Photo / bruce-mclaren.com

 2017年、二度のF1チャンピオンにすでになっていたフェルナンド・アロンソが、「世界の自動車レースのトリプル・クラウン=インディー500、ル・マン24時間とF1モナコGPを制覇する!」という目標を掲げ、インディー500に初挑戦。当時の彼はマクラーレンで走るF1ドライヴァーで、チームもこのプロジェクトに協力、アンドレッティ・オートスポートからエントリーして戦った結果、初めての500であったにも関わらず優勝争いに加わりました。
 ところがその2年後、マクラーレンがアメリカン・レース用に立ち上げたチームからインディーに再挑戦したアロンソは、準備万端で乗り込んだはずだったのに、まさかの予選落ち!
それぐらい難しいのですよ、インディー500というレースは。最高速が230mphオーヴァーで、常にマシンの限界スピードを保ってオーヴァル・コースを周回し続ける。豪快・単純に見えますが、実は非常に繊細なレースでもあるんです。

 2019年、アロンソのピットにJRの姿がありました。マクラーレンのインディー復活を喜び、わざわざテキサスから飛んで来たんですね。しかし、彼が着ていたマクラーレンのトレード・カラー(オレンジ色)のポロシャツは彼の自前でした。なんだか、あんまり歓迎されてない雰囲気が漂っていましたね。チームには彼に関わるだけの余裕がなかったんです。アロンソのパフォーマンスが負のスパイラルに陥って行った中、JRの居心地の悪さは増して行っていましたね。ノスタルジーに浸る必要はありませんが、歴史を大切にしないと。そういう真摯な姿勢がなかった彼らは、とても苦い思いをすることとなりました。

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さすがはスター。オリジナルのマスクを作られてるんですね。名前の刺繍まで入ってます。テキサス国旗のデザイ=彼のヘルメットと同じってところも、ファンにはたまらないでしょう。

 今年のアロウ・マクラーレンSPのピットに行くと、颯爽としたJRに会うことができました。純白のユニフォームをキリッと着こなし、ハンサムぶりが戻って来ており、御年83歳の彼は、”ローン・スター”のニックネームで大人気だった理由がよくわかる最高の笑顔を見せて、手まで振ってくれました。
 マスク着用義務づけのインディー500、JRはテキサス国旗をデザインしたマスクをかけていました。現役時代のヘルメットと同じ”ローン・スター”のマスクで、赤い部分には”Lone Star JR”という刺繍(プリント?)まで入ってました。「それはどこかで買えるんですか?」と尋ねたら、なんとオリジナルを作ったんだそうです。やっぱりスターは違います。

 1993年のことだったと思います。JRは予選に出るつもりでヘルメットやレーシング・スーツとともにスピードウェイ入りしていまいたが、結局乗らないことになり、観客に手を振りながらピットを去って行くシーンがありました。おそらく、あの時に彼は現役から引退しようという決意をしたのだと思います。この年は、インディー500優勝4回を最初に達成した伝説のドライヴァー、AJ・フォイトがエントリーをしていながら、予選を前に引退を表明。コース・アナウンサーにマイクを向けられて涙に声を詰まらせました。同じテキサス出身ドライヴァーとして、常にフォイトの影に隠れる存在でもあったJRと思いますが、彼が手を高く掲げながらガレージに向かった時、グランド・スタンドから大歓声が送られていました。私は彼の全盛期をリアル・タイムで体験していませんが、JRも高い人気を誇ったドライヴァーだったんだな、と身を持って感じさせられました。アメリカのファンはインディー500の歴史を大切にしていますよね。大きな誇りと感じていて、功績あるドライヴァーたちをリスペクトしています。そのことを強く感じたシーンでもありました。ブロンドの奥方の肩を抱き、背中に大歓声を浴びながらピットを去って行ったJR。サングラスをかけていた彼の頬を涙がツーッと一筋流れて行ったように見えました。”老兵は去るのみ”ぐらいに当時考えていた私でもホロッと来ました。

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長年のインディー500ファンらしき方がJRを目ざとく見つけてサインをお願いしてました。もちろんローンスターは嫌がることなくサインをしてました。

 マクラーレンはインディー500だけへのスポット参戦をやめ、昨年からは既存のチームへの参画する形でインディーカー・シリーズへのフル・シーズン参戦を始めています。そして、今年からは偉大な戦績を残した自分たちのドライヴァーを敬意を持って待遇しています。アメリカにおける自分たちの輝かしい歴史を、大事にする姿勢に変わったわけです。そうした余裕が出て来た彼らは、今シーズンの第4戦で21歳のパト・オーワードとともに優勝を飾りました。マクラーレンの本格参戦を再開して以来、初めての勝利でした。

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今年のアロウ・マクラーレンSPが走らせるレギュラーは2台。手前がカーナンバー7=フェリックス・ローゼンクヴィスト。後ろにカーナンバー5=パト・オーワードも小さくですが写ってます。

 彼らはいま、インディーカーの強豪であるチーム・ペンスキー、チップ・ガナッシ・レーシング、アンドレッティ・オートスポートの間に割って入る数歩手前まで来ています。その進歩ぶりには驚くべきものがあります。才能溢れる若手ドライヴァーを二人起用、彼らの経験不足を補うために、大量の資金と最新技術を積極的に導入してサポートしています。マクラーレンのアメリカでの第二の黄金時代が、そう遠くない将来に訪れるかもしれません。

以上

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