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1973年生まれのサラリーマン、福岡市出身。既婚、娘2人。学生時代はバスケと野球をやっ…

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1973年生まれのサラリーマン、福岡市出身。既婚、娘2人。学生時代はバスケと野球をやってましたが今は面影ないユルユルボディ。少し離れてますがバイクツーリングが趣味でした、当時はスズキバンディッド1250Sに乗ってましたが経済封鎖の影響でPCX乗り。

最近の記事

定年が65?幸せ?

世の中的に老人年齢をプラス5歳にするらしい。 定年が65で延長雇用で70まで働くモデル? それ、幸せ? 50を過ぎて思うのは身体が本当に動かない、55になればもっと動かないだろう。 なのに働くゴールが先に伸びて行く、違和感しかない。 60で引退できる人は幸せである、金があるから引退できるのだろう、今は目の前の生活で手一杯で余力ある人ってどれくらいいるのだろうか? 私は定年65で仕事を引退?我が社にそんな夢があるのだろうか?

    • 急に生きる事を考える

      人はいつか死ぬ、100%間違いない事実だ。 今50歳の私は正直もう少し先の話と思っていた、考えた事はあったけれどだいぶ先の事かなと思考が停止してた。 そんな私に大腸がん検診の結果、精密検査が必要と通知が来た、がんかどうかはまだもちろんわからない。 でもがんかも知れないと思うだけで不安感がある、50歳まで生きてきて子供も巣立って確かに一区切り、親としての役目は終わりかなと思う。 だけどもう少し生きていたいなと言うのが今の実感である、そう考えるとあと自分に残ってる時間はど

      • あと何年生きられるのか

        50歳を過ぎ、周りでも身体に不調が多い人が増えてきた。 残念だけれど亡くなってしまった同級生もいる、もうそんな歳になってしまった、まだ行きたい場所はたくさんあるし、食べたいものもたくさんある、そして会いたい人もたくさんいる。 でも、それは叶うのだろうか?あと私は何年生きられるのか?ぼんやりとした不安が最近のしかかる。 疎遠になってしまった友達ともまた仲良くなりたい、昔不義理してしまった人にお詫びもしたい。 だけど私にあとどれだけ時間があるのか?あったとしてもとても全て

        • 50歳になって想うことその3

          シンプルに頭頂部がハゲてきたね

        定年が65?幸せ?

          50歳になって想う事、その2

          もう、50になってしばらく経つけれどあんまり実感はないかな。 なる前は区切りと思ったけれどなってしまえば大した事はない、30も40もそうだった気がする。 でも身の回りでは次女が来春に大学を卒業するし、子育てが終わってしまう、子供のため、生活のためと働いて来たけれどその原動力が消えてしまう。 別に子供が消えてしまう訳ではないけれど、自分にとって娘の存在がどれだけ大きかったかと想う日々でもある。 親離れ、子離れと言う人もいるけれど自分は完全に子離れで苦しむだろうなぁ。 大

          50歳になって想う事、その2

          50歳になって想う事。

          まさか、自分が50になる日が来るとは正直予見できなかった、40の時でも50の自分は想像できなかった、しかし到達すると山の頂でもなく、何となくの通過点としか思わない。 でも区切りの年齢でもあるし、現実的に定年は10後にやって来る、生活も変えて行かないと収入はこれから下がる一方でもある。 幸せな事は来年4月に次女が大学を卒業するし育てると言うかお金の負担は軽減もされる、だけど子供に生かされて来た自分には次の目標と言うか生き甲斐が見つかるのか? 緩やかな不安との戦いもある、身体は間

          50歳になって想う事。

          50歳を前に想う事、ラスト

          人間50年と言われる時代もあったし、ある意味寿命を迎える歳になった。 私のような目立たない人間が振り返ってもドラマチックな事は何もない、ホントに人に語る話がつまらなすぎて申し訳ない、そんな私でも今日まで生きて来た。 振り絞って考えると、私は娘に生かされていると想う、仕事が辛くても、人間関係に頭を痛めても、娘を育てる、一人前にする、これだけは変わらなかった。 そう考えてみると、私は娘に深く深く感謝しなければならない、私は娘を育てたのではなく、娘に生かされて来たのだから。

          50歳を前に想う事、ラスト

          50歳を前に想う事、その10

          50歳の壁?と言うのかわか、ないけれど明らかに最近の老いがハイスピードで進んでいる。 まずは目、もう老眼が進みすぎてパソコン作業が辛い。 耳も耳鳴りがしてる、キーンって音が止まない。 歯は今年絶賛治療中。 問題はここからで肩が痛い。五十肩?が、どんなもんかわからないけれど筋が痛いと言うか肩周り全部痛い、特に右肩。 そして腰、元々腰痛はあるけれどちょっとした体勢崩れでギックリ腰みたいな症状になりやすい、マジ辛い。 これにここ数日は膝がおかしい、特に左膝がグラグラする

          50歳を前に想う事、その10

          50歳を前に想う事、その9

          私は高校を卒業後、専門学校に進み2年間勉強?した?あと就職した。 20歳の春に社会人になり、ほぼ30年働いて来た、途中で何か違うと思い転職も繰り返したけれど今の時点で想う事は努力は報われないし、世の中多分に運が左右すると言う事である。 もちろん自分を磨く事は大切であるし努力と言うか鍛錬は必要、だけれど結果に結びつくかはわからない。 仕事なんて業種が違っても職種が違っても民間企業であれば目的は利益を上げる事だし手段が違うだけであまり変わらない、そう想う。 では何で差が着

          50歳を前に想う事、その9

          50歳を前に想う事、その8

          私は特筆して目立つ事のない人間である、人様に自慢できる事などないと言っても良い。 恐らく私の同じ時期を過ごした同級生が私の評価をしても目立たない人、地味な人とかになるような気がする。 でも、そんな私でも小学生から中学生、高校生と進むにつれて。あの女の子可愛いなと思う事はあった、私は超小心者なので女性に告白なんかした事ないし、手紙なんかも書いた事ない、そんな私でもこの歳になると想う事がある。 時間はもう戻らないけれどあの時素敵だなと思っていた女性にあって今なら当時の気持ち

          50歳を前に想う事、その8

          50歳を前に想う事、その7

          私は大変に平凡なサラリーマンと言って良い、能力も特になく野心もない、残り数年は馬なりで終わりたい、もうこれが本心である。 しかし私だってお金は好きだし良い暮らし向きに憧れが無い訳でもないが前のめりにならないのは私の両親が自営しており倒産と言うほどでもないけれどお店を閉じてしまい借金に追われた姿を見たことが大きいだろう。 私が幼少期の頃はかなり暮らし向きは良かった、実感もあるし当時の写真なんかみると潤沢にモノがある生活だった、しかし中学から高校に行く頃から暮らし向きは下降し

          50歳を前に想う事、その7

          50歳を前に想う事、その6

          私の名前は友達に恵まれるようにと親の願いが入っている名前である。 親に子供の頃、言われた事は友達はお金では買えないし、良い友達に会う事は多分に運が必要であり、もしかして親友と呼べる人に会えないかも知れないとも。 私の父はびっくりする位の働き者で今の私が考えても働きすぎだった、でも私は父の友達と言われても誰一人知らない、まして親友などいるのだろうか?と思う程である。 社交的ではなかったけれどコミュニケーションが取れない人ではなかった、でも友達には恵まれなかった、その思いが

          50歳を前に想う事、その6

          50歳を前に想う事、その5

          50歳になるとあちこちガタガタになるけれど、その前にできる事もある。 私は歯医者が苦手で行くと思うだけで頭が痛くなる、お腹が痛くなる位は可愛いもので歯医者で何度も気絶した、時にはそのまま救急車で運ばれる程に。 何が苦手かと言えばもう全部苦手、もう一生これは治らない、そんな私がずっと放置していたのは親知らずの抜歯である、若い頃から悩まされていたがもう限界点まで達したので全身麻酔で一気に4本抜きをする事になった。 入院は大学病院、コロナの時勢もあり付き添いはなしだった、手術

          50歳を前に想う事、その5

          50歳を前に想う事、その4

          最近めっきり面倒になったのが人付き合いである、少し前までは行きたくなくても自分の尻を叩いて行ったりしてた。 社会人である以上は男芸者と言うか自分の時間を売っていたがもう、そんな事は止めようと思う。 一般的な会社では仕事の腕より男芸者の方が重宝されると思うし、自分を殺してお上に取り入るのが上策だとおもうがもう50だしそんなものも止めたいと思う。 もう、少しずつ人間関係も整理していく時期なのかもしれない。 社会人である時間も残りあと僅か、最小限の労力で乗り切りたい。

          50歳を前に想う事、その4

          50歳を前に想う事、その3

          40歳の時に感じなかった心身の衰えを強烈に感じる、物欲も薄れてきた。 まず負けん気と言うものが消失してきたし、仕事をしていても執着心のようなものも希薄になってきた、仕事においてはもうゴールも見えて来たし上積みが無い事は自分が良く分かっている、恐らくこの前定年に向かって緩やかに終わるだけだろう。 私生活でも気力がないのか野球に行く気力が湧かない、行っても打たずとも負けたとしても悔しくないし淡々と消化している感じだ、これは劇的な変化かも知れない、小学生の頃から人一倍勝負にこだ

          50歳を前に想う事、その3

          50歳を前に想う事、その2

          私は幼少期の頃から傷痍軍人であった祖父に手を引かれて靖国神社に参拝していた、40年くらい前の1980年の靖国神社には本物の軍人達がいたのだ、と言っても私の祖父も軍人であったが日頃はそんな素振りも見せない人であった、しかしその我が祖父も靖国神社に行くと軍人になるのであった、あまり戦争の事は語らない祖父であったし傷痍軍人である祖父は人に言えない苦労をしてきたであろう事は子供の私でもわかっていた、だがその祖父も靖国神社に行くと直立不動で覇気のある男の顔になったのだ。 きっと心の中

          50歳を前に想う事、その2