その重さに耐えられなくなり、いつしか恐れを抱くようになっていた「言葉」。救われたと感じる時、いつも隣にいたのは、会ったことのない、もうこの世に存在しない人の「言葉」。生身の人間に救いを求めたかったはずの私が、声をあげることを幾度も拒んできたのは、それを伝えることで目の前の人が消えてしまうという強迫観念にも似た思いにあった。 "自分の感情を伝えること" 人生のハードルを著しく困難にさせていたのは、 その行為の難しさにあった。 「もっと気軽に、気楽に。ただ伝えるだけ」 そ
しきりに惹かれてやまないもの。目を捉えて離さない出来事。繰り返し衝突してしまう内的側面。それらを意識化し、向き合い続ける道は、やがて個性の発見へとたどり着く。個性が導き出された時、意識化することなく、自然に人は、より広い枠組みの外で生きるができるようになる。
この暗闇がどこへ繋がっているかわからないまま、進み続けている10年前の私へ。この世にはどうすることもできないでありふれている。でもその抗えない力に流され、考えなくなったら、そこで終わってしまうんだ。何故を問いかけ続けた先に、あなたの景色が待っている。腐り果てるな。眠るなよ。
どこまでも近づけなかった。 最適な距離を探るために待ち続けることはできなかった。 触れた目には、数えられるくらいの可能性が広がっていた。 澱みなく映るその姿に、ふたりは新しい自分をみた。 伝えたい言葉はいつもありふれていて、飾れば飾るほど陳腐なもののように思えてならなかったその「言葉」は、それほど重要ではないことを意味していた。 「言葉」なんてただのまやかしに過ぎなかった。いくらなにをどう伝えられても、私に響く時、それが本物だとすでに「心」がどこまでも理解していたからだ
かつて忘れ去られた匿名性のある人々、無意識に通りすぎる狭間で揺れ動く日々の事情。自我の声を透明にし、いま再び眼前に呼び仰せば、何時何時でも帰れるであろう。哀愁漂う我らの故郷に。
季節を重ね、春を待った。 春めいたあの日、私はあなたに会いに行った。 ほんとうに優しい目をしている。 それは今も変わらずで、なんだかとっても嬉しくなった。 穏やかに時が流れ、心があったかくなる、 日常の花束みたいな人。 寄り道をして、 通れない道が次第にわかるようになった。 通れないと思っていた道は、 いつのまにか通れるようになっていた。 でも、ページの続きはめくれないでいた。 最後の最後、なにも伝えないまま、 風向きを読むのに必死だった、そのまま。 大切な
#1自分じゃない何かを変えようとすることは、 いつからかしなくなった。 変えられないものと変わっていくもの。 変えられないもののために走り回っていたから、 いつも憔悴していた。 コントローラーを握っていたのは私ではなかった。 でもずっと私が握っているのだと思っていた。 私さえなんとかすれば、現状打破できる。 でも現実はあっけないくらいに私を素通りする。 私のコントローラーは私以外の何者かが握っていた。 我が物顔で太々しいほどに居座っていた。 コントローラーの動かし
#1ずっと分からないことがある。 「必要、最善なことは常に今に起きている。逃げずにきちんと向き合い続ければ、過去の自分も癒される。この世はそんなにむずかしくない」 「今の場所で戦え。賢くなるな。分かろうとするな。なにかもわからず戦った先で見えてくるものがある。見えた先に大きな運命が待っている」 ふとYouTubeを見ていて、発言している人がいた。 わたしはなぜかこの発言に対し、違和感を覚えたので、 ない頭なりに考えてみることにした。 #2ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ
心騒がしい日も、時が過ぎ、いつかすべて灰になったあとできらきらと輝く記憶になることをわたしは知っている。だからどんな日もかけがけがなく、うつくしい。ずっと覚えている。忘れることも失われることもない。
#1年が明けて、早数ヶ月。 noteに心情を書き綴っては、悩んだ。 自分はなにを大切にし、生きたいのか。 過去の記憶との折り合いのつけ方。 手放したい人間関係や環境はなんなのか。 だれと会話するわけでもなく、 只々、自分の心と対話し続けた。 ハッとさせてくれたのは、 本、音楽、映画、YouTube、過去の記憶だった。 今のわたしにスッと入ってくる。 理解しなければとかではなく、腑に落ちる感覚。 YouTubeではおもしろい人を発見した。 真理とも思える考えにも
あの時かけてくれた言葉がよくわからなかった。 でも本当はわたしのためを想って吐いてくれた 言葉だったんだ。 表面をただなぞるだけ、 真意を理解できるほどの自分ではなかった。 きっと、あなたの好意に甘えていたのだ。 境界線を引いて伝えてくれたあの言葉の意味が、 やっとわかったよ。 あなたはいつもわたしの一歩先を見ている。 何年経ってもそれは変わらない。 奥底にこびりついたものを引き剥がすように。 あなたの言葉は私に忘れかけていた大切ななにかを 思い出させてくれる、そ
言葉にできない焦燥感、行き場のない無力感。 彷徨うように歩きまわってもみつからない。 私の居場所ってどこにあるんだろう。 ずっとそんなことを考えて生きてきた。 ここではないどこかをみつけるように いろんなものに触れ、いろんな人に会った。 元に戻ってきて、いつもそこにいたのは 草臥れ、混乱したわたしだった。 ここだと腹を据えても、うまくいかなくて、 周囲の反応と自分の感じている感覚に齟齬があるような。 一体どこへいけばよいのだろう 求めていたものってなんだったのだろう
2024年になった。社会でいろんなことが起きている。時代が変動していることを肌で感じる。通念などは、自分たちの意識しない間に形を変え、意識した瞬間には別のものへと変わってしまう。 これまで私はずっと殻に閉じこもっていた。目を塞いでいた。気がつくと私は取り残されていて、誰もなにも来ないし聞こえない。どういう時にどう感じ、どう表現したいのか。いろんな雑音にかき消され、理性と感情のバランスを欠いていた。自分という柱を立てた気になっては、やっぱりダメだのくりかえしであった。合間に光
恋焦がれ求め続けていた光は、すべて自分にあった。だれかの何かになんてならなくていい。辿る道の道中で孤独を覚えても、歩き続けよう。孤独はいつも言葉や音楽が支えてくれる。君のほしいものは他者から与えられるものではなく、自分の中に存在する。だから歩き続けよう。そのままの君でいい。
人間は互いのすべてを分かち合うなんてことはできない 相手が過去の古傷を掠める。 どこまでいこうとも、 あなたはあなた。わたしはわたし。 わたしを静かにみつめ、じっとあなたをみつめる。 静かにみつめた先にあるものとはなんなのだろうか。 最近とある小説を読んだ。 『素数たちの孤独』 深い傷を抱えていた少年少女の話で、 イタリアで大ヒットし、映画化にもなった作品。 その一節にこんなことが書かれている。 他者という存在は時に、かさぶたを抉り、引き剥がそうとする。自分さえ忘
ほしいものほど手からこぼれ落ちていく。望むもの、目指す場所、人。まわりに恵まれていたから運良く叶えることできた。でもどうしてだろう、周囲を傷つけてしまった。そんなことしてまで叶えなければならない夢だったのか、容赦なくその考えは襲ってきた。 昔からほしいものをほしいと言えない。小さな頃から周囲が察してくれていた。だからだろう、自分の夢を叶えることができたのは。わたしの力なんかじゃない。 でもどうしても昔から周囲の顔色を窺ってしまう。今自分の本当の気持ちを周囲に打ち明けたら、