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誰も教えてくれなかったスカイリムの面白さ

ほぼ1年間、スカイリムだけやっていた。

2021年2月末に始めて、翌2022年の1月中旬に終わった。
総プレー時間274時間。
どう見るかは人それぞれだが、盛ってもせいぜいライトゲーマーがいいとこのプレイヤーにとってはそこそこ”圧”があった。
体験版やスマホゲーム以外は他に一切遊ばず、スカイリムだけを1年遊び続けていた……。

今ごろ?
と思うかもしれないけど、私もそう思う。
だって誰もスカイリムの面白さを教えてくれなかったじゃん! 誰か言ってたっけ……? いや記憶に無いな……。
私は盛ってもせいぜいライトゲーマーなので「スカイリム 面白さ」「スカイリム 魅力」などで検索してみたことすらあるが、誰もこんなゲームだとは教えてくれなかった。
それを今から書いてやる。という記事です。

自由度のことはどうでもいい

たいていの人はスカイリムの魅力に「自由度」を挙げる。膨大なクエストのどれもやってもやらなくてもいいという。
いや、自分貧乏性なんで、お出しされたものはとりあえず一通りやってみたいんですけど……。
そう、自分はほんとにお出しされたクエストはだいたい全部やった。自由度なんて「なにが?」って話よ。それでもスカイリムは最高に面白かった。

ここで「力になろう」しか選べないタイプのプレイヤーは、実在する!!

たしかにクエストを片付ける順序も自由だから、そこにプレイヤーの"意志"が生まれることはあった。
あそこが気になるけど、あっちを先にした方が冒険は楽になりそうだな、さてどうしてやろうか。そういうやつ。
だから多分クエストをやるかやらないか、というのも「やらない」という選択肢を選べるタイプのプレイヤーにとってはひとつの葛藤があり、その分岐に一喜一憂があるのだろう……知らんけど。

じゃあ何がスカイリムの魅力なのか?
最初にこの記事のネタばらしをしてしまうと、スカイリムは世界の断片を発見し、理解していくゲームであり、それこそが魅力だ。
そういう話を、このさき順を追ってやります。

スカイリムを遊んでいると色々なことが「わかってくる」。
最初のうちは戦い方、アイテムの強化のしかたに始まり、何度も通う町の地理や世界のマップ、そのうち共通の文化や歴史までが少しずつわかってくる。
本当にマジで最初は何もかもがわからない。そこから先は経験というか……「ちょっとこれは、わかった方がいいやつだな?」と思って首を突っ込むと、なるほどきちんと法則や意図をもって作られているので、わかる。わかるようにできている。わかることが大量に用意されている
「わかる」というのは楽しいものだ。といってがんばってやる勉強というスタンスではなく、遊んでるうちに自然にだいたいわかってくるというあんばいもいい。

小さな物語という断片

特にあんまり他のゲームで見かけない種類の「わかる」がある。
いやどのゲームにも大なり小なりあることはあるんだけど、スカイリムの場合その量がえぐい、えぐすぎてスカイリム独自の特徴だと思うのが、ひそやかな物語の発見だ。

ひとつ例をあげてみよう。大丈夫、マジで無数にある中のたった1例なのでネタバレのうちに入らないと思うよ。

冒険のさなか、ある鉱山窟を見つけた。モンスターが出るわけでもなんでもなく、ただの閉鎖された小〜さな鉱山だ。

打ち捨てられた道具の中に、日記がポツンと置いてある。簡単に言えば「オレAと仲間Bの2人、金が掘れると見込んで鉱山を買ったが……ダメだった。掘っても掘っても何にも出ない。しかも信じた仲間Bすらしばらく留守にした間に行方をくらます始末。自分も諦めてここを出よう」 そういう話だ。
これだけでも「ただの廃鉱山」に華を添えるささやかなドラマではある。しかしここでプレイヤーはふと、洞窟の歩いて登れないような上方に不自然な横穴を見つけるだろう(スカイリムはこの「なんとなく気付く」さじ加減も上手い)。
魔法シャウトを使って登った先には……金鉱があった! 本当にあったんだ!
そしてその横には、金を手に行き倒れた骸骨が……。仲間B!! お前はAを見捨てたんじゃなかったんだな!

ここには幽霊も出なければA自身も登場しないので、特にイベントが発生するわけじゃない。言ってみればただの金鉱と骸骨のオブジェクトが隠し通路に置いてある、それだけだ。だがそこにはかつての友情と不幸なすれ違い、そして孤独な誇りといったものが確かにあった。私は見た。

スカイリムにはこういう、誰も前のめりでは説明してくれないけど確かにあったささやかな物語が本当にマジで無数にある。全ての場所に必ず用意されている。それを発見するのがこのゲーム最大の魅力だと思う。
本当にたいていはどうでもいいことだ。洞窟を利用した山賊のアジトが、しかしちゃんと彼らなりに調理場・寝室・トイレ等の生活空間を考えてあることとか……、規律にうるさい奴の寝室にかなりきわどいエロ戯曲本が隠してあることとか……、悠々自適に暮らす男が毎日欠かさず訪れる場所を覗いたら、本気でいい眺めに出くわしたこととか……。どうでもいいことだが、それらは意図的にゲームに仕込まれていて、そして本当に面白い。

あと町の住人が別の住人と会ったとき発生する会話で、ふだんの会話ではわからない意外な関係性が明らかになったりとかな。スカイリムの会話データなんてそんな量あるわけじゃないんだけど、どの住人もちゃんと個性があってそいつなりのやり方や考えがあって、色んな物語が見えるよう作られている。
そういうとこ実はドラクエと非常に近いと私は思うんだよな。まるで対極のように言われがちな2シリーズだけど、ゲームとしての魅力はこの点通じるものがある気がする。

スカイリムとも共通する、ドラクエの町民が秘めている小さなドラマ感とでも言うか……(ただしスカイリムの100倍くらいおだやか)

物量が生む「めまい」

ここまでで何度も「大量」とか「無数」とか出てきて頭悪そうなんだけど、実際スカイリムは物量がとんでもないからしかたない。
そして、その物量はゲームのもう一つの面白さでもあると思う。

たとえばスカイリムの世界は広大だ。単に引き伸ばしたようにだだっ広いんじゃなく、要素が詰まってなお広大だ。
町から町への街道をただ歩くだけでも……
目を見張る絶景があり、
戦いがあり(ただの野獣もいれば「通行料」目当ての盗賊、時には大きなイベントに関わる出来事もある)、
ちょっとした花園や滝といったスポットがあり、
何やらいかめしい砦を通り過ぎ(危険をかえりみなければ中に入ることもできるが大きな戦いになるかもしれない)、
無数の分岐する横道の先には山があり洞窟があり広大な古代遺跡がある(その全てに出来事イベントが待っている)。
川の向こうでは熊が魚を捕っている(どっちも倒して肉を獲れる)し、
それを狙う狩人のテントもある(売買もできる)。
道半ばで斃れた旅人の荷物には生前を偲ばせるドラマが眠っている。
と思えば川沿いの水車小屋では人夫たちが働き(自分が手伝うこともできる)、
農場には農夫(手伝える)、
厩舎には馬車があり(乗れる)、
そして見たことのない独特の文化を持った町にたどり着く。
そして……これがマップのごく1部でしかない事に気付く。
やばい。

やばくなってしまったマップ。最初は真っ白だったのに……。

「やばい」という気持ち、これもひとつのゲームの魅力だ。
そうか!?と思うかもしれないが、ロジェ・カイヨワ(社会学者, 1913-1978)というえらいおっさんが分類した「遊び」の四要素のひとつにめまいイリンクスというのがあって、あながちウソでもないはずよ。詳しくはググってください。
上に書いたように色々あって……把握して……その先の広大さに気付いたときの「やばい」、まあワクワクとか驚きとかスペクタクルとかいう言葉で代用してもいいかもしれない。
ただ「世界が広い」それだけのことだが、普通ない事には「こんなことってあるんだ……」という感動がある。このハードパンチをスカイリムは連打してくる。

「いくら遊んでも終わらないゲーム」それ自体むかしは夢のように語られて、そして実在はしないものだった。「いつまでも飽きないゲーム」ならある。しかし「遊んでも遊んでも見たことのないものがどんどん出てくるゲーム」となるとどうだろう?
スカイリムはそれなのだ。1年近くこればっかり遊んできて言うが、本当にそう。やばいめまい」!!

世界が「ある」ということ

スカイリムの世界観が見事に完成されている、というのはよく聞くだろう。まっっっっったくゲームプレーに関係無いような、世界の歴史から文化の成り立ちまで深く練られていて、それは各地に点在する(本当にたくさんある)本の中に、お堅い歴史書だったり物語や戯曲、なんだったらユーモア書やポルノまがいの小説の形でまで散りばめられている。
……そしてもう1回言うと、ゲームプレーには特に必要ない

ここにも「めまい」がある。
いわゆるゲーム性(アクションとか謎解きとかレベルアップとか、そういう)には無関係だし、プレイヤーの物語とも別に深く関わらない。
それでも、この世界はこういうものとして確かにある。自分が見ているのは巨大ななにかのほんの一部でしかないような気にさせる……それがプレイヤーに「めまい」を与えるのだ。

こういうのは現実のゲームというよりも、昔読んだ小説やマンガの中の……なんかこう近未来の架空の巨大なゲーム、そういう感触に近い。
「あったらいいなあ」と誰もが思い、「まあ無理だけど」と誰もがあきらめた、そういう夢のゲーム……いや冷静に考えればスカイリムのそれは錯覚でしかなく、実態はそこまで巨大なものではないのはわかる。それでも、かつてない立派な錯覚だと思う。

舞台が現実かファンタジーかの違いだけで、35年前の空想上のゲームに驚くほど似ている。
[引用:月刊ログイン(アスキー)1987年1月号 p.391「近未来コンセプトソフト大公開」より]

おそらくそう思わせるためにスカイリムはぜいたくな作りをしていて、せっかく作ったものに「見つからなかったらまあそれでもいいやろ」という態度でいる。
たとえばとんでもない絶景スポットを用意していても、もしプレイヤーが通りかからなかったら……もしカメラを他の方向に向けてたら……たまたまクマに襲われてそれどころじゃなかったら……たまたま夜中(ゲーム中時間)でほとんど景色が見えなかったら……、プレイヤーは最後まで気付かずに終わるだろう。「強制的に絶対気付かせるためのしくみ」はほとんど用意されていない。
たぶん、それでもいいのだ。なぜなら他にも絶景スポットはたくさんあって(マジで)、確率上そのうちのどれかにはたぶん気がつくのだから。そして、そうあることでプレイヤーは自分が発見した気持ちになるのだ。
絶景スポットに限らず、イベントにせよダンジョンにせよ小さな物語にせよもちろん世界の歴史にせよ、「自分で発見する」ように作られている。
まだ一部しか見えていないマジ広大な世界を、自分で発見していくことがつまらないはずがあるだろうか。

あ、だいたいこのあたりで最初の方ともつながってきましたね。
だからってくり返して文章の「まとめ」とするのはマジ文章がグダるのでやめておこう。
まとめとしては、私のスカイリムの面白さはそういうやつです。そんなわけで最高に面白かった! ありがとうスカイリム!


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