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#3 「透明のティーポット」

そのお茶はいままでに見たことのないような透き通った色をしていた。そこには色がついているのだけど、ゆらめく炎みたいに、風に吹かれて消えそうなオーロラみたいに、いくつもの色が入れ替わり立ち替わり現れるので、はっきり何色と言うことができない。そのあたたかいお湯をずっと見つめていると、だんだん目がちかちかしてきて、しまいには目をそらさずにはいられなくなる。あまりに長く見つめていすぎると、そのあとしばらく、何を見てもそのオーロラのような揺れる光が、目の中に重なって見えるはめになる。そのお茶は、どこか遠くの砂漠の真ん中で取れた、とても丈夫で長生きのサボテンの花の種からできているそうだ。そのサボテンの生えているところは、人間にとってはあまりに過酷すぎる環境なので、種を採るのはむずかしく、お茶はとても希少なものらしい。わたしはそれを、東洋の珍しいお茶がたくさん並んでいる、イギリスの田舎の工業街のすみの小さなカフェで飲んだ。薄暗い店内に一歩足を踏み入れると、ドアを開けてすぐ目の前の壁にぎっしりと並んだ棚に、得体の知れない瓶詰めの葉っぱがたくさん並んでいた。窓のガラスは蒸気で曇っていて、外に降り続く雪も見えないくらいだった。湯気からはシナモンのような、ほうじ茶のような、ペパーミントのような、そのどれとも微妙に違うような香りがしていた。狭い店内を見渡してわたしは、イギリスはさすが、博物館や美術館に世界中から収奪してきた珍奇な品を並べているだけのことはある、と考えた。お茶が好きなので、そして、たまたまその店はわたしが滞在していた大学への通り道にあったので、さらに言うとほかに入るべき店が見当たらないくらい平坦な街だったので、わたしはその店に通い始め、すぐに常連になった。ポットの中で花開くお茶を横目に、古本屋で買ったばかりの歴史書などを読みながら冬のきびしい寒さをやりすごしていた。その不思議なお茶を飲んだ日は、わたしが母国へ帰る前の日、お店に最後の別れの挨拶をしに行った時だった。店主は気のいいインド人の中年男性だったが、とても無口なので、わたしは別れの挨拶をすべきかどうか迷った。けど結局、わたしはそのことを告げた。そうしたら、すでに帰り支度を始めていたわたしの背後から、最後にこれを飲んでいけ、と呼び止める店主の声が聞こえた。振り返ってもういちどカウンターに座ると、そこにそのお茶があったのだ。透明のポットの中で、虹色の炎みたいに揺らめいていた。しばらくまじまじとそのお茶を眺めたあと、わたしは透明の小さなエスプレッソカップにそれを注いで、ためしに香りを嗅いでみた。脳を突き抜けるような強烈な甘い香りだった。ひとくち口に含むと、花の蜜を濃く煮詰めたような味が広がった。香りから想像するほど甘ったるくはなく、すこし癖のある苦味と香辛料の辛味がいっしょくたに喉をぬけていった。胃にたどり着いた瞬間、そこに小さな炎が灯ったように、ぼんやりとした温かさが広がった。わたしは店主の目をみつめた。店主はなにも言わず、わけ知り顔でにやっと笑った。陽がすっかり暮れて、店に誰もいなくなり、店じまいの支度がはじまるまで、わたしはポットを前に、その甘露をちびちびと嘗め、冬の寒さですっかり縮んだ体をゆっくりと蘇生させた。

Written by 藍屋奈々子 | Illustration by 伊佐奈月
©2016 in企画