見出し画像

イツエとわたしの青⑤-『優しい四季たち』


1st Single 『優しい四季たち』 2012.12.05 

画像1

ようやくイツエ第5回。回を重ねるごとに書くのが難しくなっていく……。でもこれだけイツエのことを話しまくっている人は珍しいみたいで、ときどきはじめましての方からも感想をいただける。記事に対してのリアクションすべてが嬉しい。

この音源は初めて聴いたときから隙のない構成だと思っていた。では、1曲目から。

「まだ見たことがない四つの季節がわたしの中でひとつになった。重ねてみると、こんな色になる。」

1. 海へ還る

瑞葵さんが故郷であるいわきの海を思って歌詞を作ったそうです。いわきではないけど私にもすぐ近くに好きな海がある。聴くたびに思い出す。大事な場所なの。それだけで大切な曲になっちゃうでしょう?

これを書くに当たり久しぶりに聴いたら少し前からのテーマが歌われている気が。「こうして書いて消して また書いて波に消されてゆく なら踏み入れてみようよ」。当然文章のことではない。抱き締めるために腕を広げておくことは大切。だけどそれだけではダメ。待っているだけでは、いけない。生きていたらだんだんと人のテリトリーに入っていくのが怖くなっていくが、そう感じるのは私だけではないはず。相手だって怖がっているかもしれない。だからあと1歩、その大きな1歩を私が。歩幅は狭くても。私が先に踏み入れていきたい。頑張らせてね。

この曲は許しが過ぎる。「感じるのは重力くらいで それぐらいでいいと思う」って。膝から崩れ落ちてしまう。カラオケで歌って自分で泣きそうになる。"言葉は嘘をつく"に同じく、友達と行って歌えることはあまりないけど。イツエの中では珍しくシンプルに大丈夫かもって思える曲です。


2. 回廊

今度は森の曲。迷いの曲。こういう気持ちになることってあるよね。いつだって隣り合わせかも。「暗くて 冷たくて 柔らかくて 暖かくて」。矛盾をそのままぶつけられてさ。最後のサビでも迷いと答えを見出す糸口が交互に歌われていて、「でもでも」と何度も考えを覆しながら悩む人間の頭の中がそのまま歌になったみたい。

生きているうちはどこのポイントで立ち止まってもこういう気持ちになるのだろう。この曲を聴いて、この曲のようになってしまっている自分を俯瞰して、この曲に少し気持ちを委ねて代わってもらって、もう一度触ってみる。

急に手を挙げてライブを見る人たちの光景を思い出した。客が終始棒立ちだったところから変化があったのはいつ頃からだっただろう。この曲もノリがいいから手を挙げる人がいたね。私はすぐに巻き込まれてしまうからこの曲と一緒に迷子になってしまって、自分の体がここにあることを確認するみたいに抱き締めながら見ていた。ギターの久慈さんに話しかけたときには「あ、手を挙げないふたりだね」ってバレていたなあ。会場を出て言葉にならない時間を共有できる、友人と私。


3. はじまりの呼吸

イツエの好きな曲を聞かれたときに、初めて聴く人には映像のある曲やとっつきにくくないけどちょっと暗い、愛のある曲を選ぶ。でもイツエを聴いている人に好きな曲を聴かれたときにはこの曲を選んできた。選べないから、敢えて好きだと言うならこれ。

ライブのときは間奏で瑞葵さんが「さん、はいっ」って楽しそうに言うの。それが走って行って抱き締めたくなるくらい可愛くてさ。このあたりから、スネアに呼応して動悸。

“はじまりの呼吸”。私のことを曲にするのはやめてくれ。この曲についてあまり話したくない。ただただ、私も笑っておこうと思う。これを聴きながらぼろぼろと涙をこぼしたことが何度あっただろうね。そういう気持ちを愛に変換するシステムなら搭載済み。安心して。おわり。本当に喋りません。


4. 時のゆらめき

「"時のゆらめき"が好き」と言いながら『優しい四季たち』を返してくれた友人がたくさんいる。この曲も迷子の曲だ。CDを通して聴く。最初に"海へ還る”を置いたのに、そのあと散々迷子にさせてくる。最後の曲が終わってリピートされるとまた「おかえり」って言われるの。だから好き。隙のない4曲とその並び。生き方そのまま。

この曲で迷い込んだ場所は、自分の中で生き続けていた、とても大事で本当のものばかりが存在する街だと予想している。そこにあるのは心の奥底に仕舞って忘れがち、忘れようとしがちなものたち。今よりもっと本能的な欲とか願いとかがある。見ないふりをすれば生きやすいんだけど、何かをきっかけに思い出してしまう人もいるような場所。私はその街への道がときどき見えてしまう人が好きです。みんな苦しそうではあるが。そこを迷子になることは決して無駄な時間にはなり得ない。暇だから立ち止まっているわけではない。フィジカルがそう見えるというだけの話だ。


優しい四季たち

デモ2つが第1章、『いくつもの絵』と『優しい四季たち』が第2章、という位置づけが私の中でされている。次の『すべての朝へ』は起承転結の転、第3章。

ずっと言っているように15歳から大切なバンドです。聴く時期によって聞こえる音や言葉が違っている。こんなところに愛が、迷いが、と気づく。それはずっとイツエの音楽と、込められた心と向き合ったから感じる変化なのだと思う。人に対しても同じことをやっていかなければいけないね。それが愛だからです。

なんだって最初はよくわからないもの。怖がらずに受け入れてみて、そこからきちんと選んでいけたならば。歳を重ねればそういうことが少しずつ上手くなっていけると思う。だから私は自分が年を食うのが結構楽しみなんだ。


画像2


イツエ

公式サイトTwitterYouTubeSoundCloud


珈琲を飲みに行きます