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前略、道の駅より

令和5年10月9日(月・祝)

 最近めっきりトイレが近くなり、長時間の車の運転にはトイレ休憩が必須となってしまった。
 この日は、三国にあるお気に入りのハンバーガー屋さんに行ってから、国道305号線を越前海岸沿いに走って帰敦(きとん:敦賀に帰ること)した。途中、道の駅越前(越前がにミュージアムのあるところだ)でトイレ休憩とした。車を止めて建物に入り小便器で用を足していると、背後の個室から「うえっ」とか「ぐおっ」とか、なにかをリバースしようとしているような声が聞こえた。おいおいこんな昼間から飲み過ぎか?あるいは道の駅のトイレだから車酔いかもしれないなとちょっと気の毒に思っていると突然個室のドアが開き、中から小学校5,6年もしくは中学1,2年くらいの男の子が現れた。そして僕に向かって言うのだ。「吐きたくても吐けないので、背中をさすってもらえませんか」と。

 このときの状況を整理しておきたい。吾輩はまだ用を足し終わっておらず、したがってこの少年は吾輩の背中に向けて話しかけている。また、念のため確認しておくが、このときトイレの中には吾輩と少年以外の人間はおらず、したがってこの少年の言葉は間違いなく吾輩に向けられている。
 読者諸賢にはこのときの吾輩の心情を想像していただきたい。長距離ドライブの最中のトイレ休憩。それは一種のカタルシスにも近いが、その時間を「吐くために背中をさすれ」という言葉で破られるのだ。これが見た目も汚らしいオッサンなら、ただちに個室へ戻れと追い返すこともできたであろう。しかし相手は年端もいかない少年である。むげに追い返すわけにもいくまい。吾輩はこの状況に戦慄した。そしてそのとき思ったのは「絶対イヤだよオマエになんて触りたくないよ何言ってんだこのクソガキ」ということだった。相手がオッサンであろうが少年であろうが、見ず知らずの人の吐瀉の手伝いをするなどまっぴらごめんだ。しかしそれをそのまま口にするわけにはいかない。

 話しかけられた吾輩はまさにその話しかけられた内容によってフリーズし、振り返りかけたが小用中であったことを思い出してかろうじてとどまり、必死で言葉を捻り出した。
「君、ご家族は?」こんな少年がこんな道の駅で一人でいるはずがない。「……」しかし少年は黙ってしまった。なんか答えてくれよ!

 このとき吾輩はもう気味の悪さだけが先行して、もはや逃げることしか考えていなかった。あわてて小用を終え、「そういうことは家族にお願いした方がいいんじゃないのかな。おじさんちょっと急いでるので、ごめんね」とトイレから一目散に逃げ出した。無論まったく急いでなどいない。

 自分の車に戻りドアを開け、シートに座って一息ついた。たった10分足らずの出来事であったが、これは書き留めておかねばと思い、今この文章を書いている。脊髄反射的に少年の願いを断ってしまったが、果たして本当によかったのか。内容はともかく、見ず知らずのオッサンに頼むくらいだからあの少年的には本当に切羽詰まっていたのだろう。見ず知らずのオッサンに頼むのは相当勇気を要したことだっただろう。それを冷たく撥ね退けてしまった。社会の冷たさを、吾輩が少年に示してしまったようなものではないか。少しくらい手を差し伸べてもよかったのではあるまいか、と反芻した。
 しかし、とも思うのだ。オッサンであろうが少年であろうが、あの時どうしても、トイレの個室から出てきた相手に触れたくなかったのだ。その生理的嫌悪感はもうどうしようもない。その感覚に従って逃げてきたのであり、そのこと自体はまったく後悔していない。そもそも、背中をさすったくらいでそんなに簡単に吐けるものなのか。

 ちょっとした後悔と違和感と生理的嫌悪感と、いろいろな感情が渦巻いて頭を抱える。いったいなにが正解であったのか。赤の他人にそんなこと頼むなよ…ホント勘弁してほしいよ。

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