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historic turning pointじゃないんだよ

平成初期に生まれた私はこの30年以上いつだって不景気だから仕方ないねと聞かされ続け、なんか急にゆとり教育を試され始め結局失策でしたねという空気を感じながら、学生が終わる頃には就職氷河期のような感じで就職活動は困難を極め(これは普通に私個人の問題でもありますが)、こんなに生きづらいのはきっと私だけが悪いんじゃないよね?という気持ちを抱えながらやっと選挙権を得たのは民主党政権が早くもおしまいになるだろうという頃でした。

政治に関心はあっても希望は持てないまま投票し続けて、生きにくさが変わった実感は今日に至るまでとうとう一日たりともありませんでした。実は政治なんて関係なくただ私がポンコツなだけなのかもしれないが、ポンコツはポンコツなりに生きやすさを望んだって良いと思うのです。

私の政治に対する関わり方は、選挙のときは必ず投票をすること、関心を捨てないこと、できれば自分の家族や友人たちと政治(=生活)の話をして時に議論すること、自分なりに考えたり調べた結果反対すべきと感じたことに対しては署名等の活動に賛同すること、このくらいです。たったのこれだけのことしかしていないので、私は本当に無力な存在だと思います。
SNSでの呼びかけ、デモ活動など、積極的に他者へ働きかけている人からすれば意思のない人と見えるかもしれないけれど、私のスタイルはずっと前から変わっていないし変えるつもりもありません。

私はあの誰もがギョッとしたhistoric turning pointとかいうのが覆ることはないと思っています。もうその段階はとっくに過ぎている気がしてなりません。かと言って、覆せたタイミングがいつだったのかもわからない。そんなの無かったように思います。
希望は持っていない、何かを変えたいとも思っていないけれど、それでも今思っていることを、私は自分の言葉で表現してここに置いておきたい。

私は誰も攻撃したくない。
私は誰からも攻撃されたくない。

でも日本に納税している以上もうとっくに加担しているよねとか、実情はともかく、

人を攻撃する道具のために税金を使ってほしくない。
どんな事情があっても生命を脅かす行為が正当化されることはあり得ない。

人間だけでなく、あらゆる動物や虫、草や花や木に、いなくならないでほしい。

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