マユ

日々の徒然をエッセイ形式で書き綴ります。 本、映画、音楽、哲学など。

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最近の記事

親友が闇落ちした話

闇落ちした親友の話昨年、親友と決別した。十年間ほどつづいた友情は唐突に終わりをむかえた。今思えばあれを友情と呼んでいいのかわからない。親友だった彼女は私たちを「家族」と呼んで喜んでいた。私は一度も私たちを「家族」とは呼ばなかった。喉に何かが詰まったように、そうは呼べなかった。 心に関しては誰しも問題を抱えているだろうけれど、彼女はたしかに厄介な問題を抱えていた。おそらく軽度の発達障害だったのではないかと思う。それが発展してパーソナリティ障害の傾向がみられた。慢性的な虚言癖、強

    • 愛なんて信じた者勝ちだ

      先日、映画『怒り』を観た。 多層的な物語構成だから、色んな解釈があるだろうけれど(解釈の余地が大きいというのは優れた物語の資質のひとつだ)私は「愛すること」について考えこんだ。 愛することの難しさ、とでもいうべきか。 『怒り』のなかで、ある男性は好きな相手に心を許せないでいる。またある女性は大事にすべき人をうまく大事にできない。愛を前に彼らは苦悩する。 食べる、走る、眠ると同じように愛するというのは能動的な行為であるはずなのに、私たちはどうしてこんなに愛することが下手

      • 言葉にならない「孤独」を抱えて

        先日、カーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』を読んだ。 読んでいる間、ずっと息がつまりそうだった。私は退屈していて、どこに行きたいわけでもなく、こんな本なんてさして読みたいわけではないのに、だけど他にやるべきこともない。 12歳の主人公、フランキーも終始同じ気持ちだった。気怠い真夏に彼女は退屈し、どこかに行きたいのにどこに行けばいいかも分からない。伸びすぎた身長と夢見がちな性格のせいで自我が閉じて肥大している。 その「気の触れた夏」、ある意味で彼女は特別な経験をし

        • 夢を叶えるとは現実を受け入れるということ

          私の兄は役者を目指していた。 高校卒業と同時に演劇の専門学校へ行き、その後劇団に入って数年は舞台に上がっていた。今は役者はやっていない。 「俺、ほんとうは声優になるのが夢だったんだ」 劇団をやめるとき、両親にそう言って声優の学校へ通ったみたいだ。それもやめて今は何をしているのかよく知らない。おそらく都内のどこかでアルバイトをしているのだと思う。 その兄が先日、結婚をしたいと言った。 そして家を買ったらしい。父親の名義で。 さすがに私は首をかしげた。久しぶりに会った

        親友が闇落ちした話

          うまい悪態をつくには鍛錬が必要だ

          生きていると腹が立つことがある。誰しもあると思う。 私自身は争いを好まないので、腹が立つような人や物事とは極力関わらないようにして生きている。 それでもときどき腹を立てたときに困るのが「悪態がつけない」ということだ。 たまの機会に腹を立てて、いざ悪態のひとつでもついてやろうと思うのだけれど、これが難しい。 そもそも悪態をつく主要な目的は、「相手がぐうの音も出せない一撃を与えたい」ということだろう。 古くからあるおきまりの悪態表現といえば、「ばか」、「アホ」、「でくの

          うまい悪態をつくには鍛錬が必要だ

          長くて退屈な小説を読むことの喜び

          数学で「相似(そうじ)」という概念がある。 大きさだけが違う、まったく同じ形の図形同士を「相似する」という。 私は長大で静かな小説を読むと、いつもこの相似のことを考える。 というのも、静かで長い小説を読むという行為は、人生を生きることと「相似する」気がしてならないのだ。 人生という大きな三角形があり、小説という小さな三角形がある。 それらは大きさこそ違えど、形は同じなのだ。 この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈

          長くて退屈な小説を読むことの喜び

          意味のない「雑談」ができなかった。

          すこし前まで雑談ができなかった。 つまり「どうでもいい会話」ができなかった。 なので雑談を必要とするような人間関係をうまく築けずに、ひとところに長くいられなかった。 そのせいで同じ会社で長く働くことができず、1年くらいいると心も身体も息苦しくなってしまい辞めざるをえなかったのだ。 雑談ができないというのは実はとても厄介だ。 たとえば、あなたが会社の後輩に「最近どう?」と声をかけたときに相手が硬直して無言になったらどう思うだろう。 あなたは相手の体調が悪いのか、何か

          意味のない「雑談」ができなかった。

          アニメが苦手な私が『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観て泣きながら愛について考えた話

          腫れているまぶたが重い。 とにかく連日泣き続けていた。 それというのもこの3日間、私は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』にドはまりしていたからだ。 * 「絶対観て」 テレビっ子の妹にそう言われた私はいつものように「うん観る」と言いつつ、心では「絶対観ない」と思っていた。 というのも、私の家にはまずテレビがない。 なぜかというと、私はテレビ番組を観ないからだ。 第二に、私はアニメーションを観ない。 なぜかというと、多くのアニメが有するあの独特の稚拙さがどうも

          アニメが苦手な私が『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観て泣きながら愛について考えた話

          大人になれない子供ぶるのはやめるよ

          ノア・バームバック監督の映画に『ヤング・アダルト・ニューヨーク』というものがある。 よく「大人なんていない、大人みたいな子供がいるだけだ」みたいな、一見真実味のありそうな台詞を聞くけれど、この映画ではこう言っている。 「大人になれない子供ぶるのはやめるよ」 これは、ひょんなことから20代の若いカップルと親密な時間を過ごすことになった40代の男性主人公が物語の終盤でつぶやく台詞だ。 私はこの台詞がとても好きで、ふとした瞬間によく思い出している。 * すこし昔のことだ

          大人になれない子供ぶるのはやめるよ

          マイノリティへの過剰な気遣いに疲れて思うこと

          おかしなもので、いわゆる「差別的発言」というのは被差別者ならそれを発言しても問題にならない。 以前アメリカのテレビ番組で歌手のブルーノ・マーズがアフリカ系アメリカ人のコーラスの男性たちを「彼らは"ブラック"だから歌がうまい」とジョークにしていた。 それは、ほかならぬブルーノ・マーズ本人が有色人種だから言えることだ。 人種、性別、性的嗜好、容姿、健康問題など、ありとあらゆるものに差異は存在する。 差異が存在する以上、当然ながら差別も生まれる。 差別については、LGBT

          マイノリティへの過剰な気遣いに疲れて思うこと

          学校に行かなかったあの日の昼下がりのこと

          すこし前の晴れた昼下がり、仕事の昼休みにいつものようにひとりでランチに出かけた。 牧歌的な雰囲気が気に入っているイタリアンレストランで焼きたてのマルゲリータピザを食べた。食後のコーヒーとデザートを済ませ、一息ついて会社にもどろうとした。 帰り道に木陰の歩道を歩いていると右手に公園が見えた。広い公園にはところどころに木のベンチがあり、会社員らしきスーツ姿のおじさんたちがぼうっとしたり、昼寝をしたりしていた。 いつもならそのまま通り過ぎるのだけれど、その日はなぜかその場で足

          学校に行かなかったあの日の昼下がりのこと

          家族なんて面倒で気が合わなくて、それでもやっぱり家族なんだよな

          私には兄と妹がいる。つまり3人兄妹だ。 それぞれに容姿も性格もまったく似ていない。 私は兄のことを気弱でちょっと思慮深さに欠けるところがあるけれど、心根の優しい人だと思っている。 末っ子の妹はもっとも激しい反抗期を経て、今や兄妹でもっとも良識と分別をわきまえた大人になった。愛情深くて、母親に似て涙もろい。 兄は私のことをおそらく苦手に思っていて(兄妹でなければまずお互いに関わらないタイプだ)、妹は私を元気な躁鬱だと思っているし、実際にそう言う(元気な躁鬱ってなんなんだ

          家族なんて面倒で気が合わなくて、それでもやっぱり家族なんだよな

          午前と午後のあいだで。あるいは過去と現在のあいだで。

          今日、午前の仕事にひと区切りつけた私はひとりですこし遅めのランチに向かった。 いつものイタリアンレストランは混みあっていて、10分ほど待ってからカウンター席についた。 弓型のカウンターには、ほかに夫婦らしき若い男女が一組座っていた。 注文を終えた私は、鞄から読みかけの『心は孤独な狩人』を取りだした。二段組の長編で、時間を見つけては少しずつ読み進めている一冊だ。 私はひとり、その本を置いたり開いたりしながら前菜、メイン、そしてコーヒーと小さなデザートを食べていった。

          午前と午後のあいだで。あるいは過去と現在のあいだで。

          渋谷「珈琲店パリ」の閉店に寄せて

          ヘミングウェイの短編小説に『清潔な、明かりの心地よい場所』というものがある。 何度読んでも、この短い話に心惹かれる自分がいる。 そして、都会を生きる私たちには自分が孤独になれる「清潔な、明かりの心地よい場所」がたしかに必要なんだなと思う。 先日、久しぶりに渋谷を訪れた。 道玄坂の脇の小径に入ったところに、私の「清潔な、明かりの心地よい場所」のひとつである、「珈琲店パリ」があるはずだった。 しかし、その店にはシャッターが降ろされ不吉な白い紙が貼ってあるのが遠くから見え

          渋谷「珈琲店パリ」の閉店に寄せて

          男は無理してかっこつけ、女は背中を追わせたがる世の常

          先日、今は友人となった昔の恋人に映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年)をおすすめされたので観てみた。 彼とは映画や本の好みが似ているから、きっとおもしろいのだろうと期待して観た。 観たあと、私はすこし考えこんだ。 全然おもしろくない。 そう思ったからだ。 いや、でも彼がそこまでおすすめしてくるくらいなのだから、私が何かを見落としているに違いない。 そう思って、この映画の特筆すべき点を洗い出した。 ・ワンカット風の撮影手法(これは

          男は無理してかっこつけ、女は背中を追わせたがる世の常

          肌寒い秋雨の夜には底抜けに明るい音楽がよく沁みる

          秋がきたかと思ったらすっかり初冬のような気候になってびっくりした。 急な気候の変化もあってか疲れが溜まってしまい、しっかり食事をする元気すらなくイライラした頭と心を抱えて一風堂に行った。 ラーメンと餃子10個を頼んだのだけれど、餃子が5個しか来なくて「すみません、10個入りを頼んだのですが...」と言うと、店員の方が申し訳なさそうに追加で焼いてくれると言っていた。 そうだよな、そりゃみんな疲れるよな、とすこし安心した。 その晩、自宅でいつも通りSpotifyで音楽を流

          肌寒い秋雨の夜には底抜けに明るい音楽がよく沁みる