『ブラックミュージックこの一枚』序文

いまから20年前の2003年に、『ブラックミュージックこの一枚』(知恵の森文庫)という音楽エッセイを上梓しました。ブラック・ミュージック周辺の100アーティストに関する思いを記したもの。その内容を大幅に加筆修正し、ここで公開いたします。ゆくゆくは新規原稿を加えていこうと思ってもいます。よろしくお願いします。


まずは「はじめに」から。



はじめに

先週、チャカ・カーンに会ったとき、

……などという書き出しでスタートすると、なんだかチャカのマブダチみたいでかっこいいっすよね。でも、そんなことはありません。あるわけないです。たまたま日程がとある取材と重なっただけの話。ただ、彼女と音楽について話しているとき、すごく印象に残る出来事があったのだ。

好きだという曲のメロディを、彼女がハミングした。それは偶然にも僕が大好きな曲で、数年前までクラブ・プレイ時には必ずかけるほどの「自分クラシック」だった。驚きましたよ。だってマイナーといえばマイナーな曲だったし、そんなところで共感できるとは思ってもいなかったから。思わずうれしくなっちゃって、ヴォーカル・パートを続けて歌ったのである。ちょろっと。そしたらチャカが身を乗り出し、握手を求めてきたわけです。

感無量だったなあ。

このとき感じたのは、「音楽ってすごいなあ」ってこと。

当たり前だけど、とても大切なこと。

チャカとは年齢が10歳ちかく離れていて、人種も出生地も育った環境もまったく違う。だいいち彼女は、圧倒的な声量と歌唱力で10代のころの僕を魅了したヴォーカリストなのだ。そんな人と会えるだけでも信じがたいことなのに、彼女と僕は別々の場所で同じころに同じ曲を聴いていたのだ。そしてともに感動していたのだ。それって単純にすごいことじゃないですか。

こういうことがあるから、音楽好きはやめられないのだ。

音楽には何度も助けられてきたし、勇気づけられてきたし、驚かされてきた。きっと、これからもそうなのだろう。だからこそ、僕は音楽から離れることができない。もっといえばジャンルが好きなのではなく、感動できる音楽が好きだ。

つくづく不思議なことだなと思う。だってそもそも音楽なんて、たかが音符の羅列なのだから。 よく考えるのだけれど、音楽なんてなくても充分に生きてはいける。極端な話、AMラジオで毒蝮三太夫の笑い声を聴くだけでも、そこそこ幸せな気分にはなれる。しかし音楽があれば心はさらに豊かになるし、深く感動できたりもする。だから、結局は嫌いになんかなれっこない。

こういうことを心のどこかにとどめておくというのは音楽と接するにあたって大切だと思う。だから、この本を書いた。

これはガイドブックではない。もちろんアーティストについての基本的な情報は押さえてある。が、そういうことを伝えるために書いたわけではない。音楽のひとつの構成要素であり、僕自身にも大きな影響を与えてくれたブラック・ミュージックについての雑記みたいなものだ。 だからとてもパーソナルだし、推薦盤としてピックアップしているものだって必ずしもそのアーティストの最高傑作であるとは限らない。そもそも最高傑作に基準があるわけではないのだから、そんなの人それぞれ違って当然なのだ。だから、僕が「いいなあ」と感じたり、すごく感動したり、つまりなんらかの感情が絡まったものを取り上げている。

「まずここからはいって、次はこれに行って、それからこれを聴かなきゃダメだよ」みたいな押しつけが僕は好きじゃないし、あくまで「入り口」でありたいだけだから。

つまりここでいいたかったのは、情報の羅列では決して表現できない感動なのだ。 で、感動を得る際には個人的な体験などが絡みついてくるわけだから、そういうことを含めて記してある(これについては、あとがきでもすこし書いている)。

「こんな不器用なやつを感動させたアーティストの音楽って、いったいどんな感じなんだろう?」

そんなふうに思ってもらえれば本望だということだ。

印南敦史

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