2020/1/11

2020年になったという実感が湧かない日々。

noteを始めた理由の一つに、音楽を作る(作ろうとする)者として、なるべく感じたことをアウトプットできるように訓練しよう、みたいな考えがあったんだけれど、いざやってみようとすると難しかったりする。

そんなわけで「評価してもらえてもそれをお世辞と考えてしまうのは、自分自身が納得していないから。もしくは再生数が伴ってないから」なんてTwitterだったら何の前振りもなく書けるようなことについて導入で悩んだりしていた訳だ。Twitterに書いてしまっても良かったのだけれど、知り合いの見ている空間でこんなことを呟いたら黒歴史確定なので誰も見ていないであろうここで呟いてみる。

一つの作品を作るのは難しい。と最近思うようになった。

例えばYoutubeに曲を出すとする。曲を書く事はできたとしてもYoutubeのフォーマットはあくまで動画だから映像が必要になる。つまり聴覚的な要素だけではなく、作品を視覚的な要素で複数枚のカットを使うならその分だけ「曲」という部分から世界観を広げなければいけない。そこが中途半端になるほど、作品は陳腐な物になっていくのだと思う。

ならば逆に考えれば、作品の価値というのは、その作品の中の何割に意味を与えられるか、という事なのではないかとも。

小説であれば一文ごとに、それが存在する意図があって、音楽ならば一音にさえ意味があって、例えばベースがひたすらルートを弾く部分だって、なぜルートにするのか、ベースの音作り、ピックで弾くのか指で弾くのか。そういう一つ一つに自分なりの理由をつけられるのが理想の作品だと思う。

そう考えると、映像監督という今まで自分が軽く考えていた職業がいかに難しいものなのかが分かってきたりする。

いや、わかったつもりになっているだけなんだろう。たぶん

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