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いのちびとメルマガ(90号)

己の損得を乗り越える
(いのちびと2020.1月号「いのちの授業15年より」)

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「志を持て、己の損得を乗り越えろ」
人生の師:上甲晃先生の言葉である。
志とは、損得で考えるものか?と、私はずっと腑に落ちなかった。

今日9月、第十五回の記念大会を迎えることができた。
実は、お別れの会になるかもと思っていた。
四月のある朝、両手がこわばり、手首と指が動かなくなり直ぐに病院に行った。
医師は、景子の小児がんを最初に見つけてくれた人で、あの時と同じ表情で言った。
「握力がほとんどなく、尋常ではありません。直ぐに大学病院なりで精密検査をしてください」

ネットなどで調べると、ある不治の病気の初期症状に似ていた。
「体が自由に動くのは一年? 余命は数年か…」
その夜、「いのちの授業」の活動の始末書と、お世話になった人への手紙を残した。

検査は四カ月続いた。
幸い、不治の病ではなかったが、原因は不明だった。
自己免疫機能の異常かも?と、ある薬剤を使用している。
今は、握力が少し戻っているが電話帳を片手で持てず、字を書くことも辛い。

この間、病院の検査室などでたくさんの人と出逢った。
「この人は、来年の春までは厳しいかも」と思われる人もいた。
子どもも若者もいた。
病院から一歩出ると、日常の世界があった。
いのちは預かりもの―とつくづく実感した。

人は、生まれて、生きて、死んでいく。
いのちを、いつどうお返しするかは自分では決められない。
生かされている「いのち」を、みんなの幸せのために使えばいい。
天がもういいよと言えば、それが天命だ。

不思議だ。
「我」を小さくすると、悩みや苦しみが小さくなっていく。
損得とは、プラスやマイナスではなく、人間の性(さが=欲、弱さ、卑しさ等)ではないか。
その性を乗り越えるためには、使命感や天命の自覚がなくては乗り越えられない。
その思いこそが志である。
損得=性は終生なくならない。だからこそ、終生、志を持たねばならない。
己の損得を乗り越えろの意味を、今やっと実感している。

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