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息子先生

いつだって息子は、偉大だ。
辛口トークもそうだが、全体を把握しながら客観的に観察する。そして、思考する。

だから、返事が遅いのだ。私は、この返事が待てない…。

感情的で直感型の私は、息子先生に「行動する前に思考しろ!」と言われ続けている。

ずいぶん気長になった。歳のせいでもあるが、息子のおかげでもある。

さて、本題の今回の息子先生との出来事は、宮古島から帰ってきた次の日に、母から病院で癌告知をされた話を聞かされたことから始まった。

すでに痛みが出ていての受診だった。組織検査後、腫瘍と言われ、これから4つの検査をしてくださいと言われた母は、気丈にも「癌なら、もう検査はしません。」と言い放った。

若い先生は、ムッとして、「検査をしないなら余命半年ですよ」と、そして、「今後、何かあっても、うちの病院は、あなたを受け入れませんけど、それでもいいのですか」と言われて、母は、ショックを受けたようでした。検査はしたくないけれど、受け入れてくれる病院がないのは不安になる。それでも、病院嫌いの母は、腹をくくって「結構です。」と言ってきたと話してくれた。

人生の最期をどう迎えるかは、大切だ。

そして、すでにお粥を大さじ一杯くらいしか食べられなくなっていた母は、気力も体力もなくなり、今にもあちらの世界に逝ってしまいそうだった。

母の話と姿をみて、優先順位を母の養生にあてた。

食養生とイヤーコーニングと琵琶の葉と漢方と心のケアーをしながら、最初の10日間で痛みが激減して、食欲が出てきた。

「病院でもらった薬を2週間飲んでいたけど、痛みはひどくなるばかりだったのに、食事を変えて、わけのわからない娘の施術を受けてたら、こんなに楽になるなんて信じられない。」というのが、母の感想だ。

1ヶ月が過ぎ、生きる気力も出てきたところで、息子先生は言う。

『おばあちゃんは、病気と向き合う姿勢が人生と向き合う姿勢と同じなんだ。』

『向き合うことが恐いから逃げる癖があるけど、自覚がないから、諦めることで自分を納得させてるけど、本当は、自分は、こうしたいというのを自覚しないといけないよ。』

それでも息子先生、一生懸命、祖母のために玄米粥を工夫して美味しく食べられるように毎日作っている。

玄米菜食が、母にとってストレスにならないように工夫しているようだ。

同居ではないので、作った食事を母と同居している弟夫婦が取りにくる。

そんなふうに、母のために家族が動き出した。

人に迷惑をかけるのが嫌いな母は、甘えることが下手くそだ。

世間体が気になる母。

頑固な母。

ルーティンを崩したくない母。

自分で考えることをしたくなくて依存する母。

思考がネガティブな母。

心配症な母。

喜びは、人から与えてもらうと思っている母。

自責の念が強い母。

なぜ、そうなったかは、一つ一つ理由がある。
環境だったり、癖だったり、持って生まれた気質だったり…。

息子先生が、祖母に向かって好きなことをするように勧めるが、なかなか手強い。あれもダメ、これもダメ、もう歳だからといちいち理由をつけて無理なことを証明しようとする。

息子先生は、言う。

『したいことがないから、生きたいという強い欲求がない。死ぬことも怖くないし、なんなら死んだ方が楽だと思っているよね。だから、したいことを見つけてあげればいいんだよ。』

と言って、ゲームをさせてみたり、65歳で美大の映像科に入学したお婆さんのマンガを読ませてみたりと保守的な祖母に新しい世界を次々と提示し続ける息子先生。

1ヶ月半が過ぎ、不本意ではあるけど、方針を変えると言った。

人のためではなく自分のために何かしてほしいと言い続けていたけど、それを探し続けていたら寿命がきてしまう。

だったら、今、一番嬉しいことをしてもらう方がいいという結論を出した。

家族のためには自分を犠牲にできる人で、家族が喜んでくれることが自分の幸せだと思っている。

孫が喜ぶ顔がみたいというのは、どこでもありがちの光景だが、うちの母は、父が亡くなった時、孫の世話をすることで、生きる喜びを見出した人だった。

今では、孫も成人してしまって、世話する生き甲斐もなくなり、一緒に暮らしている息子夫婦とは、話をすることもなく、望む幸せをあきらめてしまっているのが、現状だ。(母は、自分の息子と相性が悪いのだが、息子のことが大好きなのだ。だから、本当は、あきらめたくないのだ。)


そこで、息子先生は、提案した。

家族みんなが、一つずつ、母に何かをお願いしてやってもらう。要するに、パシリをさせる。

自分が役に立った。そのことで、相手が喜んでる顔がみられた。また、見たい!を生き甲斐にさせるプロジェクトが始まった。

まずは、我が家に歩いて(筋肉つけるため)きてもらう。

ただし、ルーティンがないといけないので、何曜日と決めること。(私の突発的なスケジュールでは、ついてこれないらしい。突然が苦手なので負担がかかるそうだ)

家で作業をしてもらう。(内職のような、外の世界と繋がっているもの)

そして、してもらったことに、大げさに喜ぶこと。

とりあえず、母に、やりたいことを探さなくてもいいよと伝え(夢中になることで癌が消えた人の話とかしてたので)人の喜ぶ顔が見たいのだから、それをすればいいよって話したら、「やっとわかってくれたのね。」と嬉しそうに言った。

だから、うちにきて、イヤーコーニングのコーン作り(母に使うコーン)をしてもらいたいと話したら、喜んでいた。自分用のコーンだとは、知らないので、私の仕事の手伝いができていると思っている。

歩いて来てねと伝えると、次の日から、うちに来る日に照準をあてて、歩く練習を始めていた。

息子先生が言っていた通り、事が運んでいる。

そして、息子先生の注意事項は、
『曜日を決めてあげると、その日に合わせて、自分の体調管理をし始める。だから、突然変更はしちゃダメだよ。あなたの都合で、振り回さないこと。』

『努力するのが当たり前になっているから、できないことに目がいくけど、そこは、努力をしなくてもいいと言っても外せない。それは、違うけど、今、そこをなんとかしようとしても時間がないから、いいんだよ。無理しないように、できてるところに目がいくようにしてあげればいいのだから。』

私は、母が無理をしないように、1ヶ月半の間、母の世話をやいた。

あれもこれも、しなくていいと言って、なるべく動かなくていいように年老いた母をいたわっていた。

でも、それは、母にとって生き甲斐を奪うことになっていた。

私のできることは、母に感謝してもらうことではなく、母が喜ぶ顔を見ることだということを忘れていた。

最期まで、痛みがなく、人としての尊厳を持ってもらうことなのだ。

食養生の時の病人のお世話は、何かと自己満足になりがちだ。

そして、お世話をするという勘違いだ。

当たり前に、相手を思いやれば、自ずと行動は、慈愛に満ちてくる。

息子先生よ。

相変わらず、私の間違った道を気づかせてくれる。

父の時から20年たって、また、同じことをするところだった。

こうやって、親の最期に寄り添うことができるのは、幸せだ。


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