権威主義(専制主義)と民主主義の対立?――ウクライナ戦争が突き出したもの

2022年12月下旬にマイナーな運動体の通信(機関紙?)の巻頭に書いた文章です。別名義で書いたものなので、ちょっと躊躇いもありましたが、まぁいいかということで転載することにしました。

(1)「民主主義と権威主義の戦い」


バイデンは大統領は就任後初の外交方針演説(2022年2月4日)で、
「米国と張り合おうとする中国の野心や、わが国の民主主義の混乱をもくろむロシアの意志など、広がりつつある権威主義(authoritarianism)に立ち向かわなければならない」
と述べている。これはロシアのウクライナ進行を強く警告していたがまだ侵攻以前である。
侵攻以後はさらに語気を強めて、ウクライナ戦争を「民主主義と権威主義の戦い」「この男(プーチン)が権力の座に居座ってはならない」(3月26日バイデン米大統領のポーランド演説)と述べている。
この演説に先立つ3月20日にゼレンスキー・ウクライナ大統領は、戒厳令の期間中、最大野党の「生活党」など11の政党の活動禁止と国内資産の差押えを実行し、さらにテレビ局を統合し国営化とメディア・コントロールも強化している。とても「民主主義」国家とは言えない。
ということは、バイデンの頭の中では、すでにウクライナ戦争は、欧米(EUとアメリカ)対ロシアの戦争となっていることを示しているのではないのか。

(2)ポスト「社会主義」


 「現存する社会主義」、今日からすれば「現存した社会主義」をいかなるものとして把握するのかについて「ソ連論」という理論領域があった――もちろんソ連が想定されていた社会主義とは異なるものとして展開しているという前提のもとにである。
 我々は「ソ連圏は世界市場から離脱した。世界市場は狭くなり、全般的危機は拡大している。」という「全般的危機論」という公式理論に対して、ソ連圏は世界市場から離脱していない、「商品の弾丸」が、世界からソ連に向かって打ち込まれている、ということをキー概念としていた。その当時、私はソ連社会批判としては物足りなさを感じていた。もっと具体的で細かなソ連経済の理論的な分析が必要ではないか、と。しかし、その後の展開は、それこそがαでありωであったことを示した。
 何故、いまさらこんなことを持ち出すのか。それはソ連圏の崩壊から30年、「現存した社会主義社会」の「その後」を概念的に把握することなしに、ウクライナ戦争とは何であるのかいうことを語ることはできないからだ。
 ソ連圏の崩壊以後、「商品の弾丸」は「資本の弾丸」に変わったのだ。撃ち込まれる「資本の弾丸」は、「社会主義国家」崩壊に乗じてはびこった小ギャングを打ち払った新興財閥(「オルガルヒ」)の台頭と結びついた。しかし国家を食い物にする「オルガルヒ」は国家の衰亡を招くのみで、その反動として国家主義者としてオルガルヒを征伐するボナパリスト(「シロヴィキ」)、ボナパルティズムを登場させた。そして、「国家主義」は国民統合のためのイデオロギーとして、民族の歴史物語や宗教を必要とするのである。
 「現存した社会主義」の崩壊のなかから、混乱を伴いながら資本主義化していった諸国の道は概ねこう典型化できるのではないか。
 ウクライナは、ソ連からの独立以降、実質GDPは毎年10%以上の落ち込みという経済停滞に苦しむなかで、オルガルヒが台頭する。ロシア周辺国はその地理的要因にも規定されながら、EUへの接近か親ロシアへの傾斜かの道を選ぶことになる。ウクライナの政権交代劇はそのジグザクの過程であった。
 欧米社会(とりわけ北米)で支配層に食い込んでいた東欧ディアスポラ(離散した民)たちの一部は、ゴルバチョフ時代の「欧州共通の家」構想にも警戒心を緩めなかったほどで、「核超大国」でありつづけるロシアのプーチン登場によるボナパルティズム国家としての復活は政治的対抗意識を刺激したのだ。

(3)ボナパルティズム論再考


 ボナパルティズムは「民族主義」や宗教の装いを纏っている。
――滝口氏がマルクス・ボナパルティズム論から掴みだした鋭い点は、第一に、その条件としての「均衡」を「ブルジョアジーは政治支配能力を失ったがプロレタリアートはまだそれを獲得していない一時期」と捉えたこと。第二に社会的権力論、「ブルジョアジーは社会的権力を維持するために政治的権力を譲った」という把握である。
 「例外国家」というエンゲルスの用法は、政治権力を政治的社会的支配階級が握っていないという意味で、歴史的には例外と規定したものである。しかし、資本制社会においてブルジョアジーの社会的権力が政治権力から分離して確立して以降は、ブルジョア諸分派の妥協的連合形態として生まれた議会制を使いながら、社民的政権や連合政権という形態も成立していった。それらを含めて言えば、社会的支配階級が直接に政治的権力を握っていないという事態は、もはや例外ではなくなっている。
 それでは、社民的ないし連合政権とボナパルティズム政権は、どこで異なるのか?
 「民主的」か「専制的」かという現象上の違いを生み出す根拠はどこにあるのか? 社民的ないし連合政権をボナパルト的専制への道を掃き清めるに過ぎない中間政権ではなくて、その中間政権を革命的過渡政権への過渡となす道は如何にして可能なのか?

 第二次大戦後の「後進国政権」を新植民地主義という把握で傀儡政権規定をした左翼諸党派と区別して、「後進国軍事ボナパルティズム政権」と規定したことは、それらの国がその後、新興国として経済的発展と非軍事的政権化を遂げたことで、その(相対的)正しさを確証しているといえるだろう。
 ――ブルジョア的王権も、直接的な政治の執行ではなく、国民国家の統合のシンボルへと変化することで生き延びてきた。
 明治維新期には天皇親政か立憲議会制かという分岐を含みつつ、政体と国体の分離としての近代天皇制、欽定憲法の立憲君主制として確立していった。

(4)ヘゲモニー移行の過渡期


 9・11以降、イスラム対西欧の非対称戦争が世界の耳目を集めていたとき、米・NATOが新たな覇権国としての中国の登場とそれに結び付くロシアの復活への対抗に舵を切ったのは2014年である。
 2014年2月ウクライナ・マイダン革命、3月クリミア半島のロシア併合、4月ウクライナ東部ドンパス地方の反乱(これをロシア傀儡とみなすのは誤り!)、G8からのロシアの排除。12月NATO軍のアフガン戦闘終了。新たな欧州の緊張が始まった。

 大きく時代を規定しているのは、グローバリズムという未曾有の世界市場の相互依存であり、デカップリングは資本の論理に逆らうものであり、非現実的で不可能事である。
 「トゥキディデスの罠」(新興国家の覇権国家への対抗=アリソン・米ハーバード大学教授)は、直接には、アメリカ帝国の没落と中国の台頭についてのものであるが、ウクライナ戦争への経済制裁で明らかになったのは、G7対G20-7の対抗である。

(5)「権威主義」=専制主義の情報統制


 ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)はグラスノスチ(情報公開)から始まった。
 情報公開・情報共有は、専制主義に解体的に働くし、情報の秘匿、隠蔽は専制政治の不可欠の属性である。
 その意味では安倍政治の文書改竄や文書の黒塗り、廃棄、さらにとりわけ予算をめぐる国会審議の形骸化は専制主義の道へ導きかねない性質のものであった。
 「民主主義」国家を自認する国で進行する「分断」は、クーデターまがいを生み出すに至っている――トランプの煽動によるアメリカの議会襲撃(2021年1月6日) ドイツのクーデター未遂の摘発(2022年12月7日)。その新しい特徴は「陰謀論」であり、その背景にはSNSというコミュニケーション・ツールがある

(6)ヘーゲル君主論批判


 ナポレオンを指して「馬に乗っている世界精神を見た」と評価するヘーゲルの根拠は、彼の君主論である。マルクスは、そのヘーゲル君主論を批判して、こう言っている。
「しかし――と、こうヘーゲルは続けるべきであった、――一つは端的にただ多くの一つとしてのみ真実のあり方を有する。」、と。
 主体を「一つの一つ」ではなく「多くの一つ」として立てることで、ヘーゲルの「ナポレオン」を批判しているのである。
 専制主義を越えていく道がここにある。

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