ご褒美は誰のもの

「それぞれの得意分野で社会貢献しようぜ」
というのが平等だと仰る人がいるんですが、分野が違ったらそれはもう不平等なんですよね。評価軸が違うものを同等には扱えない。
だから激務に耐えて家族を養うサラリーマンと36524家事育児で家庭を守る専業主婦は比較し得ないんだけど、冒頭の論で言えば平等になってしまう。おかしいじゃないですか。
子供に振り回されず激務に専念できる男が、寝ても覚めても家事育児に専念しなきゃいけない女と平等であるわけがないのに。

「長所を生かせるように苦手な部分は配慮して」
というのが公平だと仰る人もいるんですが、その配慮が合理的であるかどうかによるんですよね。
長所があるんだかどうかもわからない相手に対する配慮、それは甘やかしっていう。成果が見込めるならともかく、「頑張りを認めてほしい」「辛さをわかってほしい」だけの人に何を期待できる?下駄は誰が作る?
そんなことも知らずに与えられた下駄を履いた人が、裸足の人に向かって平等を語るのは不公平が過ぎるでしょう。


世の中は不公平で不平等で、それでもその中で自分ができることを見つけて助け合うことで共同体はつくられる。
その中で、下駄を履かせてもらうなら当然それに見合う努力は必要だし責任も生じる。そして結果を出すことで、別の誰かに履かせる下駄を作るのが筋だと思います。

「女」という下駄を履いた生き物が平等を語り公平を求めるくせに、「男」という下駄を履いた生き物の平等や公平を受け入れられないなんて、考え方が狭すぎて話になりません。

報酬は成果に対して発生する。
頑張りに与えるべきは応援だよ。

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