イノケンティウス

コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』『新実存主義』といった概念を掘り下げていきたいな…

イノケンティウス

コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』『新実存主義』といった概念を掘り下げていきたいなと思ってます。 人類の、もしくは私かあなたの進化のために。 よろしくです。

最近の記事

この世には一瞬間を拡大して 人生に勝る価値を抽きだすコトの できる人がいる。 ソレを芸術家と謂ふ そして、キミがそれなのだ

    • 人生の長さは、必ずしもその人を有能には しはしない。 人生の長さが、その人々の有能性に相関関係を もたらすとしても、比例を約束しはしないのだ 人生の長さはあくまでも主観的な資源であり ソレをどう使うかは今この時"だけ"の 自分に残酷にも委ねられている。 夜は短し、急げよ仔羊

      • 我々の灰色の脳髄は 知らぬ間に CMと広告と"その他諸々の情報洪水"によって グチャグチャなのではないだろうか

        • キリスト教をルサンチマンで転換したニーチェを アウトサイダーでウィルソンが転換したのである

        この世には一瞬間を拡大して 人生に勝る価値を抽きだすコトの できる人がいる。 ソレを芸術家と謂ふ そして、キミがそれなのだ

        • 人生の長さは、必ずしもその人を有能には しはしない。 人生の長さが、その人々の有能性に相関関係を もたらすとしても、比例を約束しはしないのだ 人生の長さはあくまでも主観的な資源であり ソレをどう使うかは今この時"だけ"の 自分に残酷にも委ねられている。 夜は短し、急げよ仔羊

        • 我々の灰色の脳髄は 知らぬ間に CMと広告と"その他諸々の情報洪水"によって グチャグチャなのではないだろうか

        • キリスト教をルサンチマンで転換したニーチェを アウトサイダーでウィルソンが転換したのである

          生の無条件の肯定こそ、新時代の思考であり、公理である。 ショーペンハウアーはそのネガティヴな面だけを観、「盲目的な意志」と呼んだが 私はそれを『生の公理』と呼ぶ。

          生の無条件の肯定こそ、新時代の思考であり、公理である。 ショーペンハウアーはそのネガティヴな面だけを観、「盲目的な意志」と呼んだが 私はそれを『生の公理』と呼ぶ。

          『死ぬよりマシ』という考えは我々に希望を与えてくれる。 だが、この考えが機能するのは「死んだ方がマシ」が機能していない間だけだ。 『死ぬよりマシ』を維持するためには、我々は“生”を無条件に肯定しなければならない。

          『死ぬよりマシ』という考えは我々に希望を与えてくれる。 だが、この考えが機能するのは「死んだ方がマシ」が機能していない間だけだ。 『死ぬよりマシ』を維持するためには、我々は“生”を無条件に肯定しなければならない。

          『令和二年、雨天決行』を聴いて

          拝啓 初冬の候  師走を迎え、冬枯れの厳しい寒さが続きます。 大陸よりのビールスもあり、なにかと忙しいこの頃でございます。 お元気でしょうか。 amazarashi『令和二年、雨天決行』は、いつも通りのamazarashiらしい、飛行機の離陸直前のような一曲目に始まり、酒も回った二曲目、終わりが見えてきたけれども飲み続ける三曲目、そして二日酔いとともに迎える四曲目と、これから未来の嶮しさ滲み溢れる五曲目とで、構成されておりました。 ただ、amazarashiはいつも

          『令和二年、雨天決行』を聴いて

          「こうして世界は終わる。どかんとではなく、へなへなと」 ーーアンドレイ・セイター『TENET』(エリオットの詩より)

          「こうして世界は終わる。どかんとではなく、へなへなと」 ーーアンドレイ・セイター『TENET』(エリオットの詩より)

          青春が、今の私を支えている。 皮肉的に、しかし確かに。 これからもよろしくだが、それを君には伝えまいよ。

          青春が、今の私を支えている。 皮肉的に、しかし確かに。 これからもよろしくだが、それを君には伝えまいよ。

          『青春』というのはやはり、とんでもないものなのだ。 どうか、青草い君がそれを味わい尽くすことを願う。 鼻で笑うが、青年期を過ぎると、それを味わうこと自体に 自ら嘲笑を付け加えずにはいられなくなるのだ。 未来からは味わえない君へ

          『青春』というのはやはり、とんでもないものなのだ。 どうか、青草い君がそれを味わい尽くすことを願う。 鼻で笑うが、青年期を過ぎると、それを味わうこと自体に 自ら嘲笑を付け加えずにはいられなくなるのだ。 未来からは味わえない君へ

          amazarashi『令和二年』某コメント欄より 「いろんなことがあったのに  何にもねぇ年だったな」 「辛えし難しいけどここから何とかやっていこうぜ、もう一度」

          amazarashi『令和二年』某コメント欄より 「いろんなことがあったのに  何にもねぇ年だったな」 「辛えし難しいけどここから何とかやっていこうぜ、もう一度」

          人生は、君が考える以上に面白いのではない。 君が考えられる以上に面白いのだ

          人生は、君が考える以上に面白いのではない。 君が考えられる以上に面白いのだ

          つぎはぎだらけでみすぼらしい、でも信念は大概そんなもんだ ーーamazarashi『月が綺麗』

          つぎはぎだらけでみすぼらしい、でも信念は大概そんなもんだ ーーamazarashi『月が綺麗』

          映画『TENET』より 主人公「(自分が死ぬとしても)受け入れるのか? "運命"だからか?」 ニール「いや。僕はそれを"現実"と呼ぶからさ」 amazarashi『さよならごっこ』より "諦め"と呼べば後ろめたい "定め" "定め" そう君は呼んだ

          映画『TENET』より 主人公「(自分が死ぬとしても)受け入れるのか? "運命"だからか?」 ニール「いや。僕はそれを"現実"と呼ぶからさ」 amazarashi『さよならごっこ』より "諦め"と呼べば後ろめたい "定め" "定め" そう君は呼んだ

          私たちは自分の感情と「同一化・一体化」してしまう。 身体のどこがか痛むと「”それ”が痛む」という。「”ぼく”が痛む」とはいわない。 ところが幸福だと「”ぼく”は幸福だ」といい、気がめいると「”ぼく”は気がめいっている」という。

          私たちは自分の感情と「同一化・一体化」してしまう。 身体のどこがか痛むと「”それ”が痛む」という。「”ぼく”が痛む」とはいわない。 ところが幸福だと「”ぼく”は幸福だ」といい、気がめいると「”ぼく”は気がめいっている」という。

          用心深い現実主義的なオプティミズム

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