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一級建築士受験ストーリー(学科編)

前回は私が建築設計という職業に就いた理由の記事に多くのご反応をいただきまして、ありがとうございます!
拙い文章にもかかわらず、皆さん読んで下さり恐縮しております。

さて、今回は私が一級建築士を取得するまでのことを書きたいと思います。長くなりますがお付き合いいただける方はどうぞ。
一級建築士というと「かっこいいですね」「凄いですね」と言われて、頑張った私は有難くそのお言葉を受け取りますが。
取得した側から思うことは「頑張れば取得できる資格」です。
東大や京大には頑張っても入れないけど、一級建築士は一生懸命頑張れば取得できる。
取得者でこの感覚の方は割と多いのではないのでしょうか。
ただ、私は大変だったし、帯状疱疹になりながら勉強したとか、鬱になりそうだったとか、周囲の話を聞く限りだと頑張りレベルは相当高いです。
試験勉強を頑張るのは勿論、独特な精神的な試練に打ち勝つ感じ。
(サラっと勉強して最短で合格する素晴らしく優秀なかたもいらっしゃいますが)

学生時代から優秀じゃないとダメなんでしょ?とか理系じゃないとダメなんでしょ?とも思われがちですが、そんなことは全くありません。
私なんて、学生時代はモテることしか考えてないのにモテないという中途半端なギャル?の女子大生だったし、完全に文系です…数学大嫌い。
学科試験の構造計算問題はほぼ捨ててました
(その代わりめちゃくちゃ暗記した)
まぁこんな私でも合格することが出来た試験なので、建築を志す方は取得をひとつの目標にして、どんな状況でも是非頑張ってほしいです。

まず、私の受験回数ですが、トータルで7回受験しています。
私が知る限り3-4回くらいで合格するかたが多い気がするので、私は多い方だと思います。

気が全く乗らない初受験と2回目の受験

初受験は丁度姉歯の構造偽装事件の影響により、一級建築士の試験方法が大きく変わる前のラストの年で、4科目で受験できるので今年は絶対チャンスだといわれていました。
※現在は、計画、環境、法規、構造、施工の5科目、変更前は、計画、法規、構造、施工の4科目
職場の近くに大手資格学校のSがあったため、愛知万博開催で名古屋が景気が良くたまたま多く出たボーナスをほぼ課金し、意気揚々と通学することにしました。
…が、全くやる気が出ないというより、そもそも試験用の勉強の仕方がわからない…!!
私は中学受験で私立の女子校に入学して以来ずっと何も考えずにそのまま大学まで進学してしまったので、それまでちゃんとした「試験勉強」というものをしてこなかった人生だったのです。
そして、以前記述したように「かっこいい」という形だけの浅はかな動機でこの道に進んだおバカ…何となく本気になれず、当時平日の仕事はほぼ終電間際か徹夜ということもあって仕事が忙しいのを理由にほぼ勉強せずに当然ながら残念な結果に。要は勉強から逃げたのです。
本気になれば、激務でも早起きして時間を作り必死で勉強をして合格をする人は沢山います。当時、私には「覚悟」が無かった。
そして、大金も無駄にした。
結局、生涯この仕事をして生きていこうという思いが、その時は無かったのです。腰かけで働く女性を馬鹿にしていたのに、自分もその一人でした。

そして、次の年は新制度になってからの受験で、前年度よりは多少頑張ったものの、相変わらず自分の目標は定まっていなかったし、そりゃこんな感じで合格するわけがないよね。という中途半端なものだったと思います。
新制度のゴタゴタもあって、合格点が結局何点なのかもよく分からず、確か合格点に7-8点足らずという結果だったはずです。(よく覚えていない)

その後は、奉仕活動のサークルで重要な役目を任されて、仕事以外での活動の楽しみを見つけてしまい、そこで出会った男性と結婚したため、彼の転勤の話もあったので、仕事も退職し結局新卒の勤務先では取得出来ずに終わったのでした。

今考えると、あの時一旦受験を続けていたら…仕事もバリバリ続けていたら…かなりロマンチックな主人との出会い(これはこれでかなりのネタ)も無かったかもしれないし、結婚もあのタイミングで出来なかったかもしれない、可愛い息子達にも会えなかったかもしれない。
と考えると、まぁそれはそれで良かったのかもしれなかったですね。
サークルを頑張ったことで得た人脈やスキルも確実に人生の糧になっているので、人生多少の回り道や何でもやってみるということはかなり大事です。
ということで、気が乗らないなら試験勉強を無理にする必要もないんじゃないかと思います。私の場合は結局お金と時間の無駄だったので。

奮起して再挑戦!しかし、結果は…

さて、結婚→転勤で愛知から大阪に移り、ぼーっと専業主婦をしていました…が!!性格上、仕事していないことに1か月程で限界が来て、すぐに大阪の大きい組織設計事務所で派遣社員として働くことに。
そこそこ忙しくて、何よりも社員の方たちが本当に良くしてくださり、毎日仕事が楽しくて設計の仕事ってやっぱりめちゃくちゃ楽しいじゃん!!と、思わせてくれたのです。あの時お世話になった方たちには本当に感謝です。
やっぱりこの仕事を一生していきたい。
そのためには、ちゃんと一級建築士の資格を取得しよう。

と、やっと前には無かった「覚悟」の気持ちが出てきたのです。

何となくSは避けて、営業さんが良かったNに通学することに。
勉強した経験もあるので、最短コースで。
派遣だったこともあって社員の時よりは仕事以外の時間に余裕があったこともあり、自分なりには結構頑張りました。

そして、学科試験。
もしかしたらボーダーラインかもしれない」点数…
ここで中途半端な点数を取るのも、ほんとポンコツだな自分って思うんですけどね。

結果、総合点1点足らず(足きり無し)で学科落ち。
あと1点ですよ!あの問題さえ、ちょっと良く考えたら…と、悔やんでも悔やみきれない、でもその1点に何千人もいるという現実。
悔し涙を飲んだ人は少なくないはず。
そして、箸にも棒にもかからないならもう諦めたけど、本気出したら結構良いところまで行けたやん、自分!のポジティブな気持ちで、再度挑戦を決意するも、その年末には長男がお腹にいることが発覚したのです。

妊娠、出産、子育て!でも諦めないよ!!

さて、長男を出産した年の受験は、出産後約1か月後に学科試験だったので、流石に見送ることにして、その次の試験に挑戦しようと思うと、まだまだ小さすぎる我が子を預けなければならず、7か月くらいの小さな小さな赤ちゃんを、泣く泣く一時保育にお願いすることに。
このとき、たまたま良い一時保育が近くにあったから良かったものの、ほんと一時保育を探すので一苦労なんですよ!母親が仕事してないと預けられないなんておかしすぎ…と、論点がズレそうなので。
本題に戻すと、産後と慣れない一人目の育児というのもあったのか、可愛い我が子を預けて挑んだものの3点落ち(だったかな?)という残念な結果に…

そして、もう最後にしよう。これでダメだったらしばらく受験は辞めようと思った、学科試験5回目の挑戦。
途中で、次男を妊娠していることも分かっていました。
それでも、とりあえずやってみようと。この時は本当に必死でした。
このまま資格を取れなかったら、確実に中途半端な人生になってしまう。
最初はどうやってやったらいいか分からなかった試験勉強。
私はひたすら過去問を解きました。問題の選択肢を1つずつ理解するまで。

学科試験の前の日は、主人に長男を連れ出してもらったりと、主人には本当に色々と助けてもらったと思います。

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↑試験前日に送られてきた、主人が神社で願掛けをしてくれたのと、長男の可愛すぎる写真が送られてきて、ただひたすら泣きじゃくった思い出。

そして、やっとやっと努力が実り、5回目にして
学科試験合格
漸く次のステージに上がれたのです。
これは、自分の努力だけでは出せなかった結果だと思いますし、やっぱり守りたい存在があることによって出せる力は凄いです。

学科試験に合格したのでもう後に引けません。
どんどん大きくなる私のお腹…
さてさて、そんな状況で臨んだ製図試験はどうなったのか??

製図編に続きます。


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