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「藤波辰爾自伝 ROAD of the DRAGON プロレス50年、旅の途上で」

「藤波辰爾自伝 ROAD of the DRAGON プロレス50年、旅の途上で」(イーストプレス)

デビュー50周年を迎えた藤波辰爾自伝。
50年て!
ちなみに他業界でデビュー50周年を迎えた方々を見ると

・八代亜紀
・西城秀樹
・岡林信康
・諸星大二郎

といった方々が出てきます。
大御所!
けど藤波には大御所感がない。
そこがドラゴンであり、藤波であるところであろう。

藤波は10年ほど前に草思社からすでに一回自伝を出しており

「藤波辰爾自伝 ― 未完のレジェンド」
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_1788.html

当たり前ですが前半部は前著と重複している部分が多い様に見受けられます。

・大分県国東市で少年時代を送り
・テレビのプロレス中継で見たアントニオ猪木に憧れ
・いったんは地元の自動車整備工場に就職するものの地元・別府温泉へ湯治に来ていたプロレスラーの北沢幹之氏を発見すると入門を直談判、そのまま日本プロレスの巡業について行き(おい仕事は)そのまま入門

という経緯からパワハラが当たり前だった昭和のプロレス団体で新弟子として生きる過酷さ、デビュー、憧れだった猪木さんは入門してもかっこよかったという話、ジュニアで一大ブームを築き、長州力とのライバルストーリー、飛龍革命…という藤波本人が一番思い出深い青春期は筆が乗っており(たぶん本人書いてないけど)、ページが一番割かれるのもそのあたりです。

しかし腰の怪我で長期欠場する時期の回想はなぜか奥さまとの対談になり、それはそれで藤波イズムが感じられて面白いのだけど、復帰して「大相撲の部屋別制度を取り入れよう」「ドラゴン・ボンバーズを作る!」と言い出したあたりで
「長州は話を聞いても何も言わなかった」
「社長の坂口さんは『今は興行がうまく回ってるから、荒らすようなことしないでくれ』と言う」
のあたりで現場から(…まあ差し障りのない範囲で好きにやらせよう…)といった温度が出てきて、そこから今に至るドラゴンロードが始まったんだなあ、と大変勉強になります。

「引退」に関してやたらファジーなのもドラゴン流で、坂口に代わって新日本の社長を引き受けることになると師匠である猪木が「社長になるなら現役は退かないとダメだ」という考えだったのであっさり「じゃあ引退します」と引退を表面、「エピローグオブドラゴン」という引退カウントダウンツアーを一年かけて全国回るもやってるうちに「リングに対する思いが強くなり」うやむやに中断、そのままなかったことにするドラゴン。

しかし2003年に猪木が巨額の資金を費やした大晦日イベント「猪木ボンバイエ」(神戸ウイングスタジアムでやったやつ)の集客がいまいち良くないと猪木サイドから「ここで藤波さんの引退試合やってくれませんか」と直前に言われ、「猪木さんのためなら」と引き受けるドラゴン。
ところが詳細詰めなかったのか、詰める余裕もなかったのか、当日いきなり猪木にリングに呼ばれ、その場でもうとっくに引退してる猪木と突然試合が始まり中継テロップには「藤波辰爾引退試合」の文字が。
よくわからないまま終わり、それ以上に事情がよくわからず混乱するファンを尻目に「そのうち状況が変わるだろう」とほとぼりが冷めた頃にまた活動再開するつもり満々だったドラゴン。
例の橋本真也負けたら引退スペシャルで本当に負けてしまって引退を表明した橋本に「戻るなら早い方がいい」と早期復帰をうながしてたりするので、おそらくドラゴンの中で「引退」という言葉は「ちょっと人前から出なくなる」くらいの認識で受け取られていたような気がします。

この後も新日本退団、無我ワールドプロレス設するも実は自発的には何もせず、あくまで自身は神輿に乗るだけのつもりだったためお金と苦労を背負った周りから反発され団体は消滅、今度はドラディションを設立、そこに息子のレオナが事前打ち合わせ無しで興行エンディングに「プロレスラーになりたいです」と直訴したことに「保留!」と返して後楽園ホールがずっこけた時の自身の思いなど、藤波辰爾の素晴らしい歴史がこの1冊に詰まっています。
ぜひお求めください。

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