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『ダーチャですごす緑の週末』ロシアのリダンダンシーマネジメントとしての疎開先、それがダーチャ(環境研究)

 他社との差異を理解することは、自己の理解の拡大となり、さらに自己理解の拡大は、他者との意志の疎通をより向上させる、というH・G・ガダマーの「地平融合」を論拠にロシアの研究は続く。

 ダーチャとは「家庭菜園のある郊外の家」を指し、ロシアの都市生活者は、週末や夏休みになると家族揃ってダーチャに繰り出し菜園で野菜作りに性を出すという。ロシア国家統計局のデータによると、ジャガイモの92%はダーチャで生産されたものだというから凄い。国内の3400万世帯の8割が野菜づくりの副業経営をやっているという。しかもロシアのジャガイモ生産量は世界2位。恐るべき自給自足率だ。

 ダーチャはソ連時代の置き土産で、ダーチャの土地代はタダ、国から無償で与えられたもの。もともとダーチャという言葉自体「ダーチ(与える)」を意味し、ダーチャはもらった土地ということになる。起源は帝政ロシアの郊外の貴族の別荘に遡るようだが、ロシア革命時にレーニンが、地主から没収した土地を農民に分配する公約。しかしスターリンが約束を反故にしてできたのが、コルホーズやソホーズ。しかし農民は、「約束だから土地をよこせ」と要求し、妥協案としてダーチャとなったという。
 ソ連時代に労働者が自分の職場から与えられたものもあるらしい。ロシア人は休日にウォッカを飲みすぎるため、平日に使いものにならない。そこでダーチャを与え、休日は農作業を行い慢性的な農作物不足も解消しようという一石二鳥の試みでもあった。自給自足であるが故、当然外貨も使わなくなる。

 ダーチャの心 10か条
 1)自然から謙虚に学ぶ
 2)今日は劇場、明日はダーチャ
 3)ニチェボーで行こう(なるようになる)
 4)大地のリズムに合わせよう
 5)働かざるもの食うべからず
 6)お金をかけずに手間暇かける
 7)お金は必要なだけあればいい
 8)知恵はみんなで共有する
 9)自分がやらなきゃ誰がやる!
 10)いつだってアナログに戻れる

 そもそもダーチャが普及するようになったのは、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下がきっかけだ。万が一モスクワなどの都市部に原爆が落とされた場合を想定し、爆心地から100キロ以上離れたところに避難すれば安全だと、1950年代に郊外への道路が建設された。ダーチャの1区画が600平方メートルと定められたのも、それだけあればひと家族が生きていく食料が調達できるという計算に基づいている。

 つまりダーチャは、ロシアのリダンダンシーリスクマネジメントとしての疎開先だということだ。相当な長期戦に耐えうる社会システムがビルトインされている(グランドデザインが施されている)ということになる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。