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『ニッポン宇宙開発秘史 元祖鳥人間から民間ロケットへ』ユシヤ製作所からの伝統(技術の歴史)

 本書に、日本の若い宇宙飛行士や科学者、技術者はほとんど『銀河鉄道999』に感化されて宇宙の仕事に入ったとある。『銀河鉄道999』の著者である松本零士氏は文京区本郷の下宿先の知くの糸川研究室に勝手に入り込んだというエピソードがある。つまり、松本零士氏は糸川研究室の広報担当者だったとも言える。糸川さんの幼少時代を描いた『少年時代 糸川英夫』の漫画は松本零士作だ。

 著者の的川さんは東大の糸川研究室で論文を書いた最後の学生だったことから、Wikiにも「的川は糸川研究室の最後の弟子」とある。ところが、糸川さんから的川さんに「私は忙しくて、たぶん指導できませんから」と言われたという。当時、糸川さんはロケット開発の陣頭指揮で忙しかったのだろう。

 東大のロケット開発は理学と工学の異質なチームだが、そこにはロケットを実際に設計製造する民間企業も入っていた。ところが、東大の研究者の一部から民間の技術者を見下す発言もあったらしい。そんなときはPMの糸川さんは、民間技術者の発言を拾い評価したという。こうしてチームに一体感が生まれていった。

 本書には日本の宇宙開発における宇宙科学(理学)の中心はX線天文学を築いた小田稔氏だということもまとめてある。その功績には「すだれコリメーター」によるはくちょう座のブラックホールの発見、ハレー彗星の観測プロジェクトなどで国際的に貢献した。

 理学と工学のチームによる宇宙開発は「はやぶさ」計画を生んだ。そのプロセスは次の通りだ。

工学:太陽系のはじまりの研究の何が楽しいんだ。太陽系ができたのは45億年とか46億年だろ。地球や火星は重力が大きいから内部の熱ですっかり変質しているではないか。
理学:火星と木星の間の小惑星は重力が小さい。だから、45億年の物質がまったく変質せずに残っている。しかし、それを観測することは、日本の技術ではとても無理だ。
工学:アメリカやソ連でさえ手をつけていない分野だから日本には無理と決めつけるのか。ならば、俺たちが計画を作ってやる!

 「はやぶさ」では大手メーカーを通さず、日本中の町工場に直接発注することでコストを抑えた。「はやぶさ」プロジェクトは130億円のコストだったが、同じプロジェクトをアメリカで実施したら500億円、ヨーロッパなら450億円かかるだろうと予測されている。

 ターゲットマーカーの開発では、重力のほとんどない「はやぶさ」の表面に弾まないように落とす必要がある。その方法を錦糸町の町工場で相談しても埒があかない。気分を変えて飲み屋で議論していたら、隣の知らないおじさんが、「お手玉がいいんじゃないか」と議論に割り込んできた。お手玉の仕組みなら上から落としても弾まない。お手玉の詰め物が弾むエネルギーを吸収してしまうからだ。このアイデアは採用されることになるのだが、このおじさんは近所で町工場を経営する社長だったのだ。

 「はやぶさ」のエピソードと同じことは、東大糸川研究室のペンシルロケット時代から脈々と続く伝統だ。当時、臨機応変に対応したのは下町の「ユシヤ製作所」という町工場だった。臨機応援に対応できる町工場がロケット開発を支えていることは、今も昔も変わらない。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。