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『怒りを抑えし者 「評伝」山本七平』イスラエルへの旅が楽しみだった(人間学)

 昭和の三変人(小室直樹、糸川英夫、山本七平)のひとり山本七平の評伝。評伝なので、当然読む人は山本七平のファンに限定される。クリスチャンとして、怒りを抑え生き抜いた山本七平の人生は、クリスチャンがほとんどいない日本ではアウトサイダーだ。父親の師は内村鑑三で、祖父はクジラ漁で有名な和歌山の三輪崎(熊野)がルーツ。三代目のクリスチャンが山本氏だ。

 中学生の頃の山本七平氏が親友に語った次の予測は、1938年(昭和13年)の日本中がヒトラー来日した際の歓迎一色の時代のものだ。

「ヒトラーは狂人だから、必ず行き詰まってそのうち戦争を始める。そしてその戦争は世界を巻き込んだ大戦争になるだろう。ムッソリーニーの方はヒトラーよりはまだ学識があるし、国民の支持も受けているので政権も長持ちするだろうし、ひょっとしたら戦争を避けるもしれない。一方、スターリンのロシアは恐るべき実力を加えた国である。もし日本の一部の軍人の言うように、この国を相手に戦争をおっぱじめたら、日本は必ず負ける。
 ドイツの科学の優位性はユダヤ人の優秀な頭脳によるところが多いのに、この人たちをどんどん追放してしまったから、ドイツはいずれ科学戦に敗れるだろう」

 山本氏は学校の成績は悪かったようが、読書の量は半端なかったようだ。
 いくつかのエピソードで面白かったのは、聖書学専門の出版社である山本書店創業の大きな動機が、教会の日曜学校で紹介された「ギルガメシュ叙事詩と聖書との関係」「聖地の地理の歴史」「比較宗教学」の三つへの興味からだったことだ。日本のクリスチャン人口が少なく、欧米では常識的な聖書の副読本が、当時の日本では出版されることがほとんどなかった。

 山本氏は戦地フィリピンで捕虜になっているが、そのときの経験から、日本軍のもっとも大きな特徴は、言葉を奪ったことだと語っている。何かの失敗があって撲られる。「違います。それは私ではありません」という言葉を口にした瞬間、「言い訳するな」と三倍、四倍のリンチが加えられる。つまり、はじめに言葉ありきの真逆で、言葉を奪うのだ。

 山本氏が世間で注目を集めたのは『日本人とユダヤ人』のミリオンセラーがきっかけだ。この本が最初に売れたのは、霞が関の官庁街だ。あまりの売れ行きで、外務省の地下の本屋に山本氏自らが100冊担いで届けたという。次に通産省の本屋、霞が関から大手町に飛び火し、商社関係の人たちが貪るように読んだ。
 山本書店は、少量の聖書関係の出版物専門書店だったため、とても手に負えない販売量で、75万部を超えた段階で、文庫本にしたいという角川書店に版権を譲渡し、刷部数の15%を得る方法にした。本書は著者不明のまま、第2回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。
 山本氏が『日本人とユダヤ人』を出版した大きな動機は、山本書店で『新訳ギリシャ語辞典』の出版準備に金がかかったからだ。ギリシャ文字の活字が特殊で高価なので、写植コストにあてたかったのである。

 山本氏が社員に「私が書きたいのは、左右のイデオロギーに囚われない天皇論と、日本の資本主義の系譜、そして独自のイエス伝だ」と語ったという。特にイスラエルへの旅は、唯一の楽しみで、JTBが山本氏をツアーガイドにする「聖書の旅」を企画し、年中行事となった。イスラエルにいるときの山本氏は生き生きしていたという。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。