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『日本人の社会病理』フロイトがマザコン(人間学)

 山本七平と精神科医の小此木啓吾(おこのぎけいご)さんとの対話により、ユダヤ人をフロイトの「エディプス・コンプレックス」の側面から、日本人を仏典の阿闍世(あじゃせ)物語「阿闍世コンプレックス」の側面から比較する。

 ユダヤ人は怖い父親を倒して母親を自分のものにしたいといった願望を持っている。だからそれに対応して、父親に対する恐怖も強くなる。ユダヤ社会はそうした近親相姦的な血縁のきずなと、それに伴うエディプス王(ギリシア神話)的な罪悪感によって成り立っている部分がある。キリストいうのは、ユダヤ人のもっている近親相姦的なものに対する罪悪感の象徴。キリストが、父親に対して反抗する息子、あるいは母親から父親をとってしまうような息子の代表としてはりつけになる。そしてキリストがみんなの罪を背負ってくれることではじめて、旧約的ユダヤ人のもっていたエディプス・コンプレックスの世界がひとつ超えられた、と。

 夫の愛が薄らいでいく不安から王子を産み、つなぎとめたい韋堤希(いだけ)夫人は、予言者に「いつ子供ができるか」相談すると、森の仙人が3年後に死んで生まれ変わると伝えられる。しかし、3年も待てない夫人は人手をかけてその仙人を殺してしまう。その後身ごもった子供が阿闍世で、「この子は生まれてから、父親を殺す」という予言者の言葉と仙人=阿闍世の恨みが怖くて、阿闍世を高い塔から落として殺そうとする。しかしある時、阿闍世は自らの出生の由来をしってしまい、理想化された母親への幻滅のため、懊悩し、母親を殺そうとする。
 しかし阿闍世は、母親を殺そうとした罪悪感から五体が震え、流注という悪病に苦しむ。悪臭を放ち誰も近づかなかった阿闍梨を献身的に看病した韋堤希は、献身で自分を殺そうとした息子を許そうとし、阿闍世は母親の苦悩を察し、母を許す。これが、日本人の普遍的な母子関係の原型を提示しているというのが「阿闍世コンプレックス」。

 こうやって、ユダヤ人と日本人を分析していく訳ですが、途中フロイトが「マザコン」だったことなどにも触れ、本質に迫っていて面白い。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。