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『入門 開発経済学-グローバルな貧困削減と途上国が起こすイノベーション』学ぶ前提として、開発途上国での経験が必要(環境研究)

 APUの先生によるものだが、大学の教科書のように、開発経済学を網羅する内容になっている。開発途上国が貧困から脱却し、生活を豊かにするための経済成長が、技術革新によって起こるという前提で、イノベーションを次の2つにわけている。

1)シュンペーター的イノベーション
 すでに何らかの技術で先頭にたった企業が、技術開発力を活かし、自らの市場を創造的破壊を起こすタイプ。
2)リープフロッギング的イノベーション
 失うものを何ももっていない後発企業が、既存の技術やシステムを破壊し、まったく新しい技術体系を打ち立てるタイプ。

 本書でもは、現地の環境やニーズに即した適正技術として紹介されているが、開発経済学ではシューマッハーの中間技術を中心に考えたほうがいいのではないかと、私は思う。

 実際のビジネスでのシューマッハーの中間技術は、シュンペーター的イノベーションの過渡的プロセスとして、イノベーションジレンマを乗り越える手段として利用されている。例えば、豊田佐吉の木鉄混合の自動織機では、地場産業が鉄産業に対し開発途上地域という位置づけになる。ハイブリッドカーもこれと同じだ。したがって、開発途上国におけるシュンペーター的イノベーションは、先進国よりシューマッハーの中間技術の考えがないと成立しにくい。

 日本のODAのようなひも付き援助プロジェクトをタイド(tied)と呼び、援助供与国に限定する援助をアンタイド(untied)と呼ぶようだが、日本のODAの72%がタイドプロジェクトだということには驚いた。おそらくこれは、日本のODAが田中角栄氏の日本列島改造論の延長線上にあるためだろう。
 また、プロジェクト単位での支援ではなく、経済運営全体に対する援助であるプログラム援助(ノンプロジェクト援助)が経済構造の変革につながるという発想は面白い。

 APUでこれらを学んだ学生は、将来どうなっていくのかわからないが、理想や志が原動力にならない限り、常に現実が勝ってしまう可能性が高い。それでは、開発経済学を学ぶ意味がない。やはり、学ぶ前提条件として、開発途上国での経験が必要なのだろう。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。