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『1987、ある闘いの真実』1980年代の韓国の出来事を知らなったことが情けない(世界の歴史)

 1987年というと、私は会社を作って4年目で、日本はバブル経済真っ只中。
 その頃の韓国では軍事政権から直接民主主義がはじまるきっかけとなった民主化運動があった。この映画を観て、はじめて韓国の民主主義は市民自ら勝ち取ったもの、ということを知った。

 1987年の民主化運動の土壌になったのは1980年の光州事件だが、やはり韓国の人々の中には、いつ北朝鮮が攻めてくるか分からないという恐怖があり、政界や民間にいるスパイを摘発し、民間のように偽装された「海洋研究所」(「南営洞ナムヨンドン」)で拷問が行われていたのだ。

 歴史的に韓国の官僚制は文班と武班の総称したヤンバンが、明の朱子学を取り入れ漢文を重要視した特権階級として存在した。ハングル文字は日本統治時代に当選総督府が日本語教育と共に小学校教育に取り入れられたもので、漢文を使うヤンバンの権力闘争で官位を争うのが歴史的伝統だ。権力抗争のパターンは決まっていて、A党がB党の不正を摘発し、国王にタレコミ、これを国王が取り上げB党が一族もろとも一斉逮捕。そして空いたポストにA党が入る。次はA党が2つに分裂し、相手の不正を取り上げて権力移動、という流れを延々と繰り返す特性がある。

 今回の映画では検察が権力の不正に抵抗するところからはじまり、市民の地下活動からメディアを経由し民衆に不正を訴える図式だが、A党とB党、権力と検察、国王と民衆と対立軸が変わっただけで、李成桂(高麗の開城からソウルへ遷都した1300年代の武班)の時代から図式は変わらない。

 それにしても、この映画で描かれている1987年以前の韓国は法治国家なのかと思われるほどの権力の暴力が当たり前のように行われていたのには驚いた。1980年代に、同業者でソウル大学出身韓国に帰れないという同業の社長と東京でよく焼き肉を食べたが、もう少し私に歴史的な知識があれば、その気持を少しでも分かってやれたのではないかと、勉強不足が悔やまれる。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。