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『国際人権法と憲法 多文化共生時代の人権論』1978年のマクリーン判決という壁がある(環境研究)

 名古屋多文化共生研究会でお世話になっている近藤敦氏の新著で、特に現在審議されている入管法改正案について、国際人権法上と憲法上、どのような問題点があるのかを考察したもの。

 世界人権宣言14条1項においては、「すべての人は迫害から庇護を他国に求め、甘受する権利を有する」、あるいはドイツ憲法では、「政治的に迫害をされているものは、庇護権を有する」と明記されている。しかし、日本国憲法にはこの種の庇護権がないのである。本書の主張の一つは、日本国憲法前文になる「全世界の国民がひとしく恐怖から免れる権利を有する」に目をむけ、難民条約に加入したから難民を保護するだけではなく、本国に送還することで、生命、自由の重大な危機のある人の補完的保護の制度を入管法に定めることも日本国憲法条の要請だとしている。

 国際人権法には、人権諸条件と国際慣習法がある。日本は主要な人権条約は批准しているが、国連の条約機関に個人通報するための選択議定書を批准していない。なぜなら、最高裁より上位の判断があってはならないという自民党の方針からだ。またさらに、外国人の人権を念頭においた移住労働者権利条約も批准していない。

 そんな日本で、外国人が在留する権利が問題となった1978年マクリーン事件野最高裁判決が、大きな障壁になっている。マクリーン事件とは、アメリカ国民であるマクリーンが英語教師として1年間日本に在留し、更新を申請したところ、別の英語学校に転職したことと、ベトナム反戦活動をしたことを理由に、法務大臣が在留期間の更新を不許可にした事件だ。つまり、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、入国の自由は保証されていない。当該国家が自由に決定することができるという。

 1978年のマクリーン判決は、日本が国際人権規約を批准する以前の判決であり、次の3点において見直す必要があるとしている。

1)国際慣習法上、外国人の入国、在留の許否は、国家の自由裁量であるという最高裁の判決は見直されるべきだ。自由裁量は、ノン・ルフールマン原則(難民は彼らが迫害の危険に直面する国への送還に対する保護を享受すること)、家族結合などの制約を受けた上でのものでなければならない。

2)憲法上、自国とみなしうる一定の長期滞在外国人の入国の自由および在留の権利は保証されるべきだ。

3)憲法の基本的人権の保障が、入管法上の外国人在留制度の枠内ととらえていることを修正する必要がある。

 法律の専門家が読む本だと思うが、日本が国際人権規約を批准する以前の1978年の最高裁のマクリーン判決は、憲法上も、国際法上も見直すべきだということが本書の論点なのだろう。そういう意味では、2023年の入管法改正案に対しての反論となる法的論拠を示したともいえる。

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