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『敵とのコラボレーション 賛同できない人、好きではない人、信頼できない人と協働する方法』アダム・カヘンのミドルネームはモーセだ(環境研究)

 アダム・カヘンに目をつけた英治出版は、少し早すぎるが先見の明がある。複数未来を共有させる変容型シナリオプランニングで南アフリカのマンデラ政権を導いた実績から、コラボレーションを進化させてきたのがアダム・カヘンだ。今後の日本は間違いなく、多文化共生社会にならざるを得ない。そうなると、エスニック・セグリゲーションができ、エスニック・コンフリクトになってくる。日本人はここではじめて、今まで直面したことのない多様性の難しさに直面することになるだろう。

 アダム・カヘンが面白いのは、次のプロセスを得て、本書に至っていることだ。

Step1)多様性は対話で解決する『手ごわい問題は対話で解決する』
Step2)変容には愛と力の両方がいる『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』
Step3)賛同できない、好きではない、信頼できない人たちと協働する『敵とのコラボレーション』

 3)の段階で必要になるストレッチコラボレーションを解説しているのが本書だ。私を含め私たちは、問題の原因を敵とする敵化(Enemyfying)する習慣がある。そんな習慣のなかで、南アフリカでは、分離した政治家、実業家、学者、NPOなどの、それぞれのリーダーが参加し、モン・フルーシナリオを共有することで、ネルソン・マンデラの民主主義を成功させた。ところが、タイの親政府勢力と反政府勢力の政治紛争を解決するためのコラボレーションプロジェクトでは、次の3つのシナリオに対し、国民は「強制する」を選んでしまったのである。

シナリオ1:適応する(We adapt)
シナリオ2:強制する(We force)
シナリオ3:協働する(We collaborate)

 複合的な問題に直面したとき、政治でも仕事でも家庭でも人は、コラボレーション、強制、適応、離脱の4つの選択肢がある。つまり、全体の利益を優先させることは、良識的でもなければ、合理的でもないのだ。個々の人は全体でもあり一部でもある。全体なるものが存在するという前提では、それぞれの意味の場の合計が全体にならないのだ。つまり、マルクス・ガブリエルがいうように、全体が存在しないのだから、全体の利益は優先されないということになる。

 アダム・カヘンのミドルネームはモーセだという。つまり、彼はユダヤ人だ。だとすると、複雑に絡み合った現在のイスラエルとパレスチナの問題をどうとらえているのだろう。少なくとも、Step1、Step2では解決不可能で、Step3ということになるのだろうが、当事者であるユダヤ人ではストレッチコラボレーションの実践は難しい。日本の近未来を考えるためには、非常に重要な1冊だと思う。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。