もしも道が無くたって
自分の前の道が崩れ去って、どうしようもなくなる時が人間にはあったりしますね。
そんな時に簡単に道が見えると楽なんですけど、大抵道が見えなくなった時は右往左往するもの。
僕は地図が全く読めないから迷う迷うw
道なき道を来たような気がします。道なき道を迷いながら泣きながらでも進んでいると、たまに奇跡の様な輝いてる道が現れたりします。
僕が昔七年振りに自分の息子と娘と再会した日の事。今でも忘れません。
その日はもう自分の父親の余命がほんの少ししかなくって、途方に暮れた時に、病院の中庭にあるベンチに向かって歩いていた時、ベンチの周りとベンチにだけ陽が差した瞬間があったんです。
その日はお日様も隠れていて何とも言えない日でした。
その光輝くベンチに向かって歩いたその時、僕は離婚した妻の実家に携帯電話で電話をかけていました。
そんな事をしようと思ってかけたのかどうかは覚えていませんが、その時向こうの家で電話に出たのは小学校の三年になってる娘でした。
自分の名前を告げ、娘の名前を呼び、少し話した後に息子に代わってと言いました。
息子が代わって出て少し話した後に病院名と病室番号を告げて切りました。
その一時間後には息子、娘、元妻が病室に訪れました。
僕は何故七年間も電話をしなかったのかと後悔しましたが、その時は後悔よりも電話して良かったとしみじみ感じました。
小学校三年生に成長した娘は離婚した時はまだ六か月の赤ん坊でした。
あの赤ん坊が小学校三年生になっていました。
息子は三歳の時に離婚してるので10歳になっていました。
その後、ずっと隠れて我が家に来続けて、もう直ぐ娘は18歳になります。
息子はこの前二十歳になりました。
息子も娘もとっても優しい子たちです。僕にとっては勿体ない子供達です。
子供たちの成長していく姿を間近で見られる幸せは何にも代え難いです。
あの時に太陽の光に導かれてベンチが光らなかったらと思うと恐ろしくなります。
太陽の輝く道。そのような道が誰の前にも勿論用意されています。
道が無いように見えても、あなたが進んでる道が横道に逸れていたとしても、太陽は毎日登り毎日上を通ります。
今日から三連休ですね。
皆さんの連休に光の道がともりますように
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