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天狗とは? part3 ダークサイド編

さてさて、天狗さまについて書いてきましたが内容が濃すぎて今回で第三弾となりました😅

今までは天狗さまの性質、御働きの「良い面」を記してきました。

今回は反対の「天狗のダークサイド」について書いてみたいと思います。

上へ、高みへと登っていく天狗は「火」の性質、また空に輝く星も天狗の象徴ですが、「人の上にある」という要素には「ある性質」が潜んでいます。

それは、上から見下ろす
「増長」
「慢心」
そして
「全能感」
といった側面です。

他よりもすぐれている、という優越感の様なものは下のモノをバカにしたり、「自分はスゴイ!」という勘違いを引き起こしたりします。

その様な気持ちにとらわれない心の修練が出来ている方は位の高い「天狗さま」になりますが、修行を始めてちょっと出来てきたくらいのモノは手にした能力を喜んで自慢したりひけらかしたりします。

それが更に進み力がもっと発揮できる様になると「自分は世界を自在に操れる王だ!」と慢心してしまう。

仏教では、生命は六つの世界を巡っているという「六道輪廻」を説いています。

下の層から順番に
地獄界
餓鬼界
畜生界
修羅界
人間界
天界
という六つの世界です。

魂の質によってこれらそれぞれの世界に生まれ変わり、そこで様々な体験をして魂が磨かれ、上の世界に上がっていき、やがて澄んだ魂は仏となり六道輪廻から解脱するといわれています。

大変な道のりだけども、そのサイクルの中にいればやがては神仏に至ることが出来るのですが、自己の力に慢心してしまった「駄天狗」はその道から外れてしまうそうです。

つまり、それ以上の魂の成長がなくなってしまうということ。

「現象を自在に操れることによる、この世界だけでの充足感」にとらわれてしまう。

さらに「支配欲」「全能感」にとらわれてしまう。

神仏は更にそれ以上の存在なのに「お山の大将」でいたくなる、ということです。

これを「外道」または「魔道」といいます。

西洋の悪魔、サタンや堕天使などにも共通の要素があります。
(そういえば身体的にもどれにも羽根が生えてるなぁ)

人間たちに力を見せつけて脅し、または誘惑して「力」に取り込む。

地を離れ天へと向かおうとする魂を引き止めようとする「魔」の力。

これは「地」や「固」という「この世界」をつくる力のダークサイドでもあります。

「水」が物質面を、そしてこの「まがった火」がその精神面を創り上げてる様に思えます。

この世界に魅入られ、愛するがゆえのこの世界への執着がこの世界を形作っているという側面。

菩提樹の下で悟りに至ろうとするお釈迦さまを邪魔したのはこれらの「魔」ですね。

だから悟られたお釈迦さまはこの世界への執着を捨てよ、それを引き起こす煩悩に気付いてとらわれるな、と説かれたのでしょう。

さて、「増長」「慢心」「支配欲」という駄天狗の要素。

これは、私たち人間界にもありますね。

ちょっと出来るから、または上の立場にいるからというくらいでその事を鼻にかけたり、人をバカにしたり虐げたりする人、いますよね〜。

こういう人を「あいつ天狗になってる」といいます。

まさにそれが「(駄)天狗気質」だと思います。

更に上を目指す心があって、自己の中の至らなさや愚かさに気付いて修めていくなら上の位の天狗さまの様にになっていくのでしょうが、お山の大将ではただの自慢屋、嫌われ者で終わりですね。

また、身体的には上にある「頭」が中心になると駄天狗になり易い。

知識や理論で自己を主張し他を抑えて、支配したがる。

「頭でっかち」ですね。

弱者や立場の低い人たちの痛みを知らない、気にかけない「頭でっかち」。

会社や組織、経済界、政治家なんかにもいますよね。

自分の能力、知識、立場などが向上してきた時に、私たちの心の中にこの「(駄)天狗気質」は芽生えてくることがあります。

人によっては生まれつきその性質をもってる人もいます。

その様な時に、いかに自分をちゃんとみているかが問われます。

優越感、全能感はある種の快感を伴います。

多分脳内麻薬とか出てるんじゃないかな?

でもそんな思考や感情にとらわれていると、他を見下し虐げて傷つけてしまう。

自分の魂の成長も止めてしまう。

結果、何にも良いことはない。

神仏からしたらちっぽけな支配欲や、分かったつもりだけの全能感。

それにとらわれず、もっと高みへと羽ばたいていきたいですね。

まだまだ書き足りないですが、またまた長くなってきましたのでこの辺で〜

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