止め刺し前

命を奪うということ

先日、初めて「止め刺し」(わなにかかったイノシシにとどめを刺すこと)を見学し、実際に自分でもやってみた。

私がいるところでのスタンダードは、                  くくり罠→散弾銃(動き回って危ないので)               箱罠→電気止め刺し機(個体に傷が付きにくく、肉が痛まないので)    この2種類。

いずれのやり方もやらせていただきました。もともと、そういったことがやりたくて、移住して、散弾銃もやっと活躍の場がきたぜYeah!ということなのだが、いざ実際の場面に直面すると、多少の尻込みはするし、不安も感じる。でも、やらないという選択肢は既に無いので、やってみて、(おそらく最初だからであろう)感じた感慨を残しておきたい。

やり方はどうであれ、同じく殺すのであるからたいして変わらんだろうとやる前までは思っていたけど、方法によって感じ方は大きく違った。

①散弾銃の場合                            たまたま、一発で頭部に見事HITしたせいもあるのだろうが、結構アッサリとしたものだった。むしろ、外さなくて良かった~。仕留めたったぞ!と、狩猟民族的な達成感さえあり、お命頂戴、ありがとうございます!いただきます!という感じだった。

②電気止め刺し機の場合                        これは、バッテリーから変圧器を経由させて、物干し竿のようなパイプの先に電極とアースがあって、その一本を地面に、もう一本を個体に突き刺すか噛ませるかして、心臓を止める器具です。死刑執行人よろしく「ビッ!」と通電させて終いかと思いきや、これが中々スマートにはいかない。チョット電気を流したかと思ったら、逃げられて箱罠の中で暴れまわる始末。その泣き声や鼻を血だらけにして箱罠の柵にぶつける様は、何か拷問でもしているようで見ていて心が痛む(←ただ、殺そうとしているだけ)うまく通電させた後も、筋収縮により突っ張った四肢を見ながら、息絶えるまで電気を流し続けなくてはならない。何か、ゴメンな~。苦しかったよな~。何とかして、美味しく頂くからね~(若干涙)。という感じで、達成感は無く、命を頂いた感満載だった。

ただ、命を奪うといってもやり方によって感じ方は大きく違った。聞いた話では、人によってはバットで撲殺したり、槍で刺したりする方法もあるらしい。私としては、より心が痛みそうなので、あまりやってみようとは思わない(ほかにやり様が無ければ、やるしかないけど。。。)。徒に苦しませるのは良くないな~、とか考えていたら「介錯」を思い出した。武士の切腹の際に、確実な絶命と首を取るために行われるアレである。介錯人は一般的には切腹する者の近親者や愛弟子から選ばれていたらしい。死が確実な状況下では、より苦しませないことこそが愛情だったのだ。たぶん、私にとっての止め刺しもそんな感じ。

回数を重ねるごとに、ただの作業になってきつつあるけど、、、より苦しませずに止めを刺す。そうすることで、命を「奪う」のではなく「頂く」ことにならないだろうか。

と、たまには感傷的になってみた。

決して、喜び勇んで殺してる訳じゃないんですよ! (`・ω・´)キリッ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?