「あいまい」であることを大切にする

「あいまい」と言うと、一般的にはあまりよくないイメージで使われることのほうが多い言葉ではないかと思います。「はっきりさせる」ことが是であるという風潮が感じられる今の世の中では特に「あいまい」であることはよくないことと思われがちです。

正しいのか間違っているのかをはっきりさせる。良いのか悪いのかをはっきりさせる。白なのか黒なのかをはっきりさせる。

しかし、実際の人生においては、あいまいなこと、あいまいな事象、あいまいな場面のほうが圧倒的に多いのではないかと感じます。世の中は割り切れないことが大半です。いや、世の中とはそもそも割り切れないものです。

もちろん、あいまいでは困る場面も色々あるでしょうが、私は「あいまい」というのは、世の中においても個人の人生においても必要不可欠な要素だと思っています。あいまいであるからこそ世の中が落ち着くこともあれば、あいまいであるからこそ救われる人生もあるのではないかと思います。

人間は基本的に弱い生き物です。少なくとも私は自分が弱い人間であるという自覚が大いにあります。ですから、場合によっては「あいまい」であることで救われることもあります。分かっていたとしても言葉に出さないほうがいい場合もあります。

あえて「あいまい」にしておくという風潮が出てこれば、世の中ももう少し気楽な雰囲気になるのではないかと思いますし、あえて「あいまい」にすることは、人間の心を穏やかにもするし、ある意味では豊かにもするのではないかと思います。

人間なんでもすぐに決められるわけではありませんし、人生というものをあまり大げさに考えないようにするためにも、あいまいさを尊重するというか、あいまいであることを受け入れるということは実はけっこう大事なことなのではないかと思います。


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