【歌評】愛唄 / GReeeeN / 2007年 / 作詞:GReeeeN

──『ただ泣いて笑って過ごす日々に 隣に立って居れることで
   君と生きる意味になって 君に捧ぐこの愛の唄』──

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 歌詞の引用部分は『』になっています。著作権違反とならないように慎重に書いていきます。
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 今回も、自由に書こうと思う。いつか書けなくなるから、今、書けることを全て書こうと思う。

 愛唄は、私が中学生のときに爆発的にヒットした。携帯小説発の映画「恋空」のテーマソングであり、この二つのタッグはまさに2000年代後半の若者文化を結集したかのようなコラボレーションだった。

 愛唄は、私が思うに「世界に誇れる、人生をテーマにした歌」だと言っても過言ではないほど、衝撃を受けた。『ただ泣いて笑って過ごす日々に 隣に立って居れることで 君と生きる意味になって 君に捧ぐこの愛の唄』。「人生になんの意味があるのだろうか?」という問いに対して「一人の人を愛するために、人は生まれ恋をして、共に生きていく。それだけが人生の意味なのだ」と真っ向から答えを出してくれた、この歌の意味は、私の人生においても大きな意味を持つことになった。

 「人生とは、愛する人と共に生きるために生きるのだ」というテーゼは私の人生での岐路にあたる場面で、あらゆる場面で、そのテーゼを思い出しながら生きてきた。生きるとは、人を愛すること。愛する人を支えること。普通の人にとっては常識かもしれないが、それがいかに難しいかは大人になってから知った。

 『僕の声が続く限り 隣でずっと愛を唄うよ
  歳をとって声が枯れてきたら ずっと手を握るよ』

 一人の人をずっと守り続ける。「特別になれなくても誰かの特別になればいい」というのは西尾維新の言葉だが、まさに「愛唄」そのものである。人生とはなんなのか、答えは愛である。簡単すぎて更に言えば単純すぎるこの論題は、ある意味で私を恋愛に関して慎重にさせた。中学・高校時代は恋愛をすべきだろうと思い、告白などをする普通の学生に過ぎなかったが、一生寄り添って生きていく人を選ぶという行為は、中学・高校生の頃は当たり前にできていた。しかし、大人になって、もしくは大学生になって、「一生この人と添い遂げたい」と思える人には残念ながら出会えなかった。浪人をし、人間不信に陥って、さらに言えば極貧生活の大学時代には、好きだと思える人にも出会えなかったことも事実だが、誰かと共同で生活をするということが経済的にも難しいという、大人の事情にぶち当たって、「愛唄」のような人生を送ることはできなかった。

 人生に意味を教えてくれた、あまりにも衝撃過ぎた「愛唄」という曲は、私に、なぜ生きるのかを、永遠に教えてくれるような、それくらいの大切な歌となった。

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