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「スマート新書」が悔しくて、編集仕事が手に付かない

昨日、noteがスマート新書を出すことを知った。

すごいなー、うわ、小さっ。お、イラストNoritakeさんか、おしゃれー!! 

嬉しい気持ちで早速一冊注文したが、なぜだろう。

なんだか無性に悔しくて、仕事がまったく手につかない。

最初のうちは、何が悔しいのか自分でもわからなかった。

サイズ感がいいから? 

「30分で読める」のコンセプトが新しい? 

デザインとイラストがすてき?

どれもあんまりしっくりこない。

「もっと短い本があっていい」と、代表の加藤さんは以前からおっしゃっていた。いつかcakesやnoteの記事を元に短い本を出すのだろうなとは、ぼんやりと想像もしていた。

でも、このモヤモヤはなんなんだ。

仕事帰りに歩きながら考えていたら、モヤモヤはちょっとずつ言葉になりはじめた。

スマート新書が変えたのは単なる「本のかたち」じゃない。「本と読者の出会い方」だ。

ずっと考えてきた「未来の書店」のひとつの理想を、スマート新書は示しているじゃないか。


僕は、編集者だ。本をつくり、主に書店から読者に届けている。この仕事は、やりがいはあるが、本当に難しい。

読者との会話の時間(=読者に本のことを知ってもらうための時間)が「0.1秒」しかないからだ。

書店では、読者は数万冊の中からお気に入りの一冊を選ばないといけない。
しかも、ひと目で価値がわかる服や雑貨と違い、本は

→タイトルを見る

→帯に書かれたコピーを読む

→著者の名前とプロフィールを確認する

→それでも迷ったら「はじめに」を読む……

と、その「価値」を判断するのに、かなりの時間がかかってしまう。

その結果、書店に並ぶ数万冊のうち、読者の興味を引き、手にとってもらえるのはせいぜい10冊程度となる。

その10冊に入るため、今日もあらゆる本が読者が棚をさっと眺める「0.1秒」を巡り、「見て見て! 僕を見て!」とPR合戦を繰り広げている。

ぼくはこの一瞬の戦いのヒリヒリとした緊張感を楽しみつつも、どうにかして「0.1秒」という時間の量を伸ばしていく方法はないか、と考えるようになった。

0.1秒で読者にインパクトを与えようとすると、どうしても刺激的なメッセージが並んだ本が増えてしまうことになる。

でも、中には0.1秒では伝えづらい価値だってある。

もちろん、0.1秒で伝わるほどにコンセプトを練り上げることこそ編集者の手腕だ、とは僕も思う。ただ、今のルールを否定せずに新しいルールを考えることも、やって損はないはずだ。

読者との会話時間を伸ばすには、どうしたらいいか。

考えあぐねた末、僕は「本を選ぶ前から、読者と話しはじめるしかない」という結論にたどりついた。

記事を読んでもらい、読み手とつながりを築き、その関係性の中で本と出会ってもらえれば、0.1秒を1分に伸ばせるじゃないか。

べつに、書き手が著者でなく編集者であってもいいはずだ。

そう思い個人で井上慎平としてnoteを書き始めた矢先の、スマート新書の発表だった。

noteでは、すでに書き手と読み手との幸せな生態系ができている。日常のワンシーン、シュールな笑い、抑えきれない主張を伝えるさまざまな書き手がいて、楽しみに待つ読み手がいる。

そのnoteが、出版に参入した。

Webで本を届けるなんていままでAmazonが散々やってきたじゃないか、と思われる人もいるだろう。もちろんそのとおりだし、物理的な「流通」でいえば、スマート新書だってAmazonに頼る部分が大きいはずだ(加藤さんが、どうAmazonではなくnoteで買いたい、と読者に思わせるのか楽しみでしかたがない)。

でも、Amazonは会話の場をつくることはできていない。

それがnoteにはできている。

さらに、運営側の努力で、noteってなんかいいよね、と思わずにはいられない、場の居心地の良さも保たれ続けている。

加藤さんは、クリエーターにも今後EC機能を開放すると言っていた。

ゆくゆくは、読み手とつながりをもった書き手が、有形無形あらゆる「価値」をnote経由で届けるようになるんだろう。

「本」でも「絵」でも「音」でもいい。

大事なのは、その何かと出会う前に、すでに買い手との会話がはじまっているということだ。0.1秒どころか、場合によっては何時間も。

そのつながりを、ナナメから

「ファンによる閉鎖的なコミュニティにすぎないよ」

と見ることもできなくはないのだけれど、現実には運営側の心配りで、noteでは売り手と買い手の偶然の出会いがうまく演出されているように見える。

一方、いまの書店がそのような出会いを提供できているかと考えると、正直少しこころもとない。

誤解のないよう強調しておきたいが、僕はその「こころもとなさ」を書店や出版社で働く人のせいにしたいわけでは、決してない。まったくない。

先ほども書いたように、本の選びづらさは、価値を判断するのに時間がかかるというメディアとしての特徴から生まれるある種の「どうしようもなさ」だと思っている。

むしろ、その「どうしようもなさ」を背負い戦う人の気持ちが痛いくらいにわかるからこそ、とたまらなく悔しいのだ。そこをスマート新書がひょいと乗り越えてきたことが。


ルールは変わりつつある。

もちろん、スマート新書がいきなり出版全体をひっくり返すとは、僕だって思っていない。物流の面でも、在庫リスクでも、課題を挙げることもできるかもしれない。

でも、そんな小言を言うのが野暮に感じられるくらい、嬉しそうなんだもの。買う人も、売る人も。スマート新書についての各所の反応を見ていてそう感じてしまった。


本と出会う前から読者と会話をはじめる。

noteは、蔦屋書店にもAmazonにも存在しなかった読者との「つながり」をゆっくりと育てる唯一の書店だ。その先にある可能性は、とんでもなく大きい。


あらためて、noteのコンセプトを読み返した。


「つくる、つながる、とどける。」

あー! そーか! 計算済みってか、こんちくしょー!!!!!

(このnoteでは編集者として出版に対して考えていることを中心につづっていきます。Twitterはこちら→@inoueshinpei



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